レゴ
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売上高 43.7 billion kr.[3] (2021)
営業利益 17.0 billion kr.[3] (2021)
純利益 13.3 billion kr.[3] (2021)
純資産 48.0 billion kr.[3]
従業員数 24,484[3] (2021)
主要株主Kirkbi A/S(75%)[4]
LEGO Foundation(25%)
関係する人物オーレ・キアク・クリスチャンセン(創業者)
外部リンクwww.lego.com
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レゴ(デンマーク語: LEGO)は、デンマークの玩具会社、およびプラスチック製の組み立てブロック玩具ブランド。通称「レゴブロック」。

1934年に「よく遊べ」を意味するデンマーク語「leg godt」から社名をLEGOとした。創業当初は木製玩具を製造していたが、1949年からプラスチック製玩具の製造を開始した。非上場企業であり、創業者一族のクリスチャンセン家が運営する持株会社Kirkbi A/Sと財団法人LEGO Foundationが、レゴ社の全株式を保有している[5]
製造

レゴブロックにおける一般的な基本色は、赤、黄、青、黒、白、灰色である。1990年代から徐々に他の色も多用されるようになり、現在では濃灰色や緑色、砂色、茶色、ワインレッド、ダークグリーン、パステルカラーなども多く見ることができ、透明のブロックもある。レゴ社は長年、戦車や軍用機を作るのに使用されて、レゴ社自らが戦争を推奨しているかのように見られてしまうのを恐れ、建物のベースである基礎板を除き、緑色のブロックを作らなかった[要出典]。しかし、さまざまな中間色のブロックや近世の銃器がセットに含まれている現在では、こうした懸念は過去のものとなっている。

レゴブロックのデザインはどれも単純明快で、使い方の説明を要する部品は少ない。子ども向け玩具であるため、説明書を読まなくてもそのブロックの機能が分かるようアフォーダンスデザインが取り入れられている。

レゴブロックには時代やシリーズを超越して共通する互換性という大きな特徴があり、たとえば10歳の子が1歳のころに遊んだデュプロをテクニックシリーズに混ぜて遊ぶということもできる。このように利用者の年齢に柔軟に対応できるため、レゴブロックは他の積み木や流行玩具のように、利用者が成長すると今までの玩具がゴミに変わるという無駄が起きない。経済的にも環境にも優しい玩具と言える。

レゴブロックは世界各地で製造されており、2003年現在、成形はデンマークとスイスの2つの工場のうちのひとつで行われている。ブロックの装飾と梱包をする工場は、デンマークスイスアメリカ合衆国大韓民国チェコにある。レゴブロックの平均生産量は、一年間におよそ200億個、一時間におよそ230万個である。

ブロック、車軸、ミニフィグなど、レゴシステムの全部品は、製造時に厳しい許容誤差を定められている。部品同士がバラバラにならないよう適度に結合し、分解も容易であるのにちょうどいい結合力を持たせるため、製造誤差の許容範囲が0.002ミリ以内、あるいは0.00008インチ以内とされている。

高い品質を維持するための技術として、金型の容量の小ささが挙げられる。玩具会社によっては、製造費を抑えるために同時に60個の部品を扱える金型を使うことがあるが、レゴの金型は一般的に容量がもっと小さく、精密に機械加工されていて、数万ドルの費用がかかる例も多い。この射出成形金型にはセンサーがついており、質を下げる原因となる圧力や温度の変動を検出できる(金型内部でABS樹脂にかけられる圧力は25?150トン、温度は摂氏232度にも及ぶ)。金型で成形された製品は人間が慎重に検査し、色や形に目立ったばらつきがないように確認する。使い古した金型は、他社の手に渡らないように建物の基礎に入れられる。成形処理は非常に精密なので、標準規格に適合しない数は、100万個中たった18個である。このような製造への気遣いにより、レゴ社は何十年にもわたって高い品質を維持し、この品質のこだわりのおかげで、30年前に製造された部品と現在の部品はしっかり結合させることが可能になっている。

一般的な玩具メーカーは新製品生産のために設備を更新するが、レゴはブロックの組み合わせを変えてパッケージを用意するだけで新製品を投入できるため、設備をほとんど変更することがなく、高い収益性につながっている[6]
歴史

一世紀もの歴史を持つレゴ社の製品は、洗練されたシステムを持つプラスチック製の上質な組み立てブロックだが、同社は創業当時は家具店であった。レゴ社の歴史は、デンマークの南デンマーク地域ビルンオーレ・キアク・クリスチャンセンが作った木工所から慎ましやかに始まった。家族経営の創造的なこの会社は、のちに世界中で人気の玩具会社へと成長することとなる。
始まり

1916年にビルンに開いた木工所で、オーレ・キアク・クリスチャンセンは地域の農家向けに家と家具を作って生活していた。助けは少数の見習い社員だけだった。1924年、2人の幼い息子が木の削り屑に火をつけたために木工所が火事で焼失したが、オーレ・キアクは災難にもめげず、木工所を大きくする機会だととらえてさらに仕事に励んだ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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