この間、音質面の改善として、1925年より始まる機械式録音から電気式録音への移行がある。これによって、ラジオ放送開始のあおりで急速に低下していた売上が持ち直すことができた。また、大編成オーケストラの録音なども容易になった。 その後の化学技術の進歩により、ポリ塩化ビニールを用いることによって細密な記録が可能となり、従来の鉄針からダイヤモンドやサファイアの宝石製の(いわゆる)永久針を使用すると共に、カートリッジの軽量化などの進歩により長時間再生・音質向上が実現された。ポリ塩化ビニールで作られたディスクはシェラックなどに比べ弾性があり、割れにくく丈夫で、しかも薄く軽くなり、格段に扱いやすくなった。 これらがLPレコードやEPレコードで、第二次世界大戦後の1940年代後半に実用化、急速に普及し、1950年代後半までに市場の主流となった。これらを総称して、ビニール盤、バイナルなどと呼ぶ。 ハンガリーからアメリカ合衆国に帰化した技術者ピーター・ゴールドマーク(Peter Goldmark RCAビクター社が1949年に発売した。直径17 cmで収録時間は溝の加工によって違うが、5分から8分程度。回転数から「45回転盤」とも呼ばれる。ジュークボックスのオートチェンジャー機能で1曲ずつ連続演奏する用途が想定された。オートチェンジャー対応を容易とするために保持部となる中心穴の径が大きく、ドーナツを想起させるため、「ドーナツ盤」とも呼ばれる。日本ではシングル盤とも呼ばれた。当時アメリカではRCAビクター製の45回転専用プレーヤーが流通した。のち、同サイズで33回転のものも登場。こちらは中心部の穴が通常サイズだったため、ドーナツ盤とは呼ばれない。 SP盤と比較した場合、LP盤はディスクをかけ替える手間なしに長時間再生が可能でクラシック音楽の全曲収録や短い曲の多数収録が可能、シングル盤はSP盤並みの収録力(片面あたりポピュラー音楽1曲程度)のままでディスク小型化・オートチェンジャー適合化を実現している。 LPとシングル盤は初期の一時こそ競合関係にあったが、上記の性格の相違から市場での棲み分けが容易で、基礎技術自体はほとんど同一のためレコード針も共用できたことから、ほどなく双方の陣営が相手方の規格も発売し、双方がスタンダードとなるという形で決着がついた。この際、ビクターで多くのクラシック音楽レコードを録音していた当時の世界的著名指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニが、曲を分割せずにすむLPを強く推したことが影響したといわれる。音響機器メーカーからは33回転と45回転(と78回転)の切り替え可能なターンテーブルも発売され、バイナル盤への規格移行が促された。 LPレコードの実用化では、第二次世界大戦中にドイツで実用化され、戦後のLPレコード開発時期と同じくして民生用に用いられ始めたテープレコーダーの普及が一役買った。テープレコーダーは長時間録音を容易としたうえ、それ以前の録音用レコード盤に比べても高音質での録音が可能であり、マスター音源としての総合性能が優秀であったためである。特に長時間の曲が多いクラシック音楽などでミスなく長時間の演奏を行うことは難しく、リテイクと編集を可能にするテープレコーダーが役立てられた。 逆に、LPレコードとテープレコーダーがSPレコード時代の1曲5分未満という制約を取り払い、時に1曲10分を超えるような長時間即興演奏を連続収録したアルバム形式の商業レコード発売を可能としたことで、結果的に音楽ジャンル自体の発展をも促したモダン・ジャズのような事例もある(1954年2月に録音され、同年発売されたアート・ブレイキーの『バードランドの夜 Vol.1』は、長時間の即興演奏をLP盤に収録し、1950年代中期以降の新世代モダン・ジャズであるハード・バップの先駆となった。これにはテープレコーダーの小型化に伴うライブ録音の容易化も大いに寄与した)。 レコード原盤を切り込む装置をカッティングマシンまたはカッティングレースと呼ぶが、溝を切る際マスターテープの再生ヘッドの前にモニタヘッドを取り付けることにより、音量に合わせて予めカッターの送り速度を調整すること(可変ピッチカッティング、variable groove)が可能になり、後年はコンピュータ化されてさらに細かいカッターヘッド送りが可能になり、ダイナミックレンジ(録音出来る音の大小の差)の確保と録音時間を両立できるようになった。 45回転盤やLPレコードは、音質や収録時間では大きな進歩を遂げたものの、通常レコード針の機械的な接触によって再生される基本原理はSPレコードと変わらなかった。この方式は盤面上の埃やキズ、周りの振動に影響されやすく、メディア個体の再生回数が多くなると、音溝の磨耗により高域が減衰していく問題があった。また45?45方式のチャネルセパレーション(左右の音の分離)にも限界があった。 1980年代に入ってからは、扱いやすく消耗しにくいコンパクトディスク(CD)の開発・普及により、一般向け市場ではメディア、ソフト、ハードとも著しく衰退。一方で、在来システムの所有者やオリジナル盤への愛着などでアナログレコードを好む層も一定数存在し、アーティスト側もCDと並行してレコード盤を出すこともあった。 1988年にDIMEが紙面企画としてレコード会社(東芝EMI、ヴァージン・ジャパン、ポニーキャニオン)にレコードの今後について質問状を送ったが、各社とも衰退やマニア向けになると回答している[9]。 1970年代以降は「磨耗したレコードを通常の再生とは違った形でターンテーブルに載せ、手動で回転させる」という表現技法が現れ、そこから発達する形でクラブの ディスクジョッキー (DJ)が演奏に用いるようになる。2000年代に入るとCDでDJプレイが可能になる機器も普及したが、直感的な操作性とレンジの広い音質、特有のスクラッチノイズ、そしてレコードという媒体そのものへの愛着などから根強い人気があり、DJプレイ用に発売されるシングルの主流を占めていた(12インチシングル)。これはアナログレコード再生用ターンテーブルおよびカートリッジへの一定の需要を生み出していた。 上記のように主流のメディアでは無くなったが、ニッチ市場を形成したため細々と生産が続けられていた。 2000年代後半に入ると音楽はデジタル配信(ストリーミング)が主流となり、CDの売り上げは落ち始めた。
ビニール盤(バイナル)の出現
LPレコードの発売
シングル・レコードの発売
LPとシングル盤の共存
メディア媒体としての衰退・転化
レコードの復活
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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