レゲエ
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スカは、カリプソ、メント等の従来のジャマイカ音楽に、ジャズやリズム・アンド・ブルースなどのアメリカ合衆国の音楽が融合し誕生した[6]。ウォーキングベース(英語版)がリズムをリードする点、ホーンセクションが主旋律を担当することが多い点などはジャズと類似しているが、ビートがジャズのようにシャッフルせず、1小節の2拍目と4拍目にイーブンにアクセントを置くアップテンポな裏打ちのリズムはスカ特有のものである[60]。スカ誕生によってジャマイカ音楽は新たな時代を迎え、ヒッグス・アンド・ウィルソンが1959年に発表した「マニー・オー (Manny Oh)」[注釈 21]は2万5千枚を超える売上を記録し、ジャマイカの音楽産業における最初のヒット曲となった[61]。また 、同年プリンス・バスターがプロデュースしたフォークス・ブラザーズ(英語版)「オー・キャロライナ(英語版)」はカウント・オジーによるナイヤビンギドラムを取り入れており、ラスタファリ運動の精神をジャマイカ音楽に反映させた最初の楽曲であった[62]

また、中国系ジャマイカ人(英語版)のバイロン・リー(英語版)が映画『007 ドクター・ノオ』(1962年公開)に出演したことなどをきっかけに、スカはジャマイカの上流階級や海外にも徐々に認知を広げていった[63]1964年には当時のジャマイカで最も有名なスタジオミュージシャンであったドン・ドラモンドジャッキー・ミットゥらによってスカタライツが結成され[64]。また同年にミリー・スモール(英語版)の歌った「マイ・ボーイ・ロリポップ(英語版)」は全世界で600万枚を売り上げる国際的ヒット曲となり[65]、スカ人気は頂点に達した。しかし、そのわずか二年後の1966年後半にはスカ人気は終焉することとなる[66]
ロックステディの誕生アルトン・エリス(2007年)プリンス・バスター(2008年)詳細は「ロックステディ」を参照

1966年に発表されたホープトン・ルイス(英語版)による「テイク・イット・イージー (Take It Easy)」やアルトン・エリス「ロック・ステディ (Rock Steady)」などの楽曲を端緒にジャマイカではスカに代わりロックステディが流行する[67][68]。ロックステディはスカよりも遥かにゆっくりとした新しいリズムワンドロップを強調するドラム、シンコペーション感覚のあるメロディアスなベースラインと、甘く滑らかなサウンドを特徴とする[67]。ロックステディのテンポがスカよりも遥かにスローダウンした理由は、単なる音楽的流行の変化という説と、1966年の夏にジャマイカを襲った激しい熱波によって、人々がアップテンポなスカではダンスすることが出来なくなったためという説[67]、さらにスカタライツのメンバーであったドン・ドラモンドが起こした殺人事件を機にスカへのバッシングが行われたためという説がある[69]

このロックステディ期にはインプレッションズなどのソウル・ミュージックに影響を受けウェイラーズヘプトーンズテクニクスパラゴンズ などのトリオによるコーラスグループが流行した[67]。さらにジャマイカ国内の社会状況の悪化などの影響からデリック・モーガン「タファー・ザン・タフ (Tougher Than Tough)」やプリンス・バスター「ジャッジ・ドレッド (Judge Dread)」などのルードボーイを主題とした歌詞が流行した[70]
ヴァージョンの発明ジャマイカのシングルレコードのB面。この盤にはヴァージョンではなくディージェイ、ジャー・ライオンによるパート・ツー・スタイルが録音されている。「リディム」も参照

このロックステディ期には「パート2・スタイル (part 2 style)」などと称される「同一のリディムを複数の楽曲で使いまわす」というジャマイカ音楽特有の手法が発明された。リディムの使いまわしは1967年末、スパニッシュタウンのルディーズ (Ruddy's the Supreme Ruler of Sound) というサウンド・システムが偶然ボーカルを入れ忘れたパラゴンズの「オン・ザ・ビーチ (On the Beach)」のダブプレートをプレイしたところ、観衆に熱狂を持って受け入れられたことをその起源とする[71]

以来、リディムを使いまわす事による経済性の高さも相俟って、ジャマイカ産シングルレコード[注釈 22]B面には「ヴァージョン」と呼ばれるA面の曲のカラオケを入れることが流行し、一般化した[72]
レゲエの誕生リー・ペリー(2009年、イタリア)

ロックステディの流行も短命に終わり、1968年にはレゲエが取って代わった。前述の通り「レゲエ」という言葉が最初に用いられた曲はメイタルズ「ドゥ・ザ・レゲエ」であるが、最初にレゲエの音楽的特徴が取り入れられた楽曲ははっきりしていない[73]。メント風のリズミカルなギターにブールーやクミナ風のパーカッションを取り入れたリー・ペリー「ピープル・ファニー・ボーイ (People Funny Boy)」や、電子オルガンディレイのかかったギターが特徴のラリー・マーシャル(英語版)「ナニー・ゴート (Nanny Goat)」、レスター・スターリン(英語版)「バンガラン (Bangarang)」、パイオニアーズ(英語版)「ロング・ショット (Long Shot)」、エリック・モンティ・モリス(英語版)「セイ・ホワット・ユア・セイイング (Say What You're Saying)」などの1967年から1968年に発表された作品群はロックステディからレゲエへの変化が顕著に現れている[73][74][75]


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