レイ・チャールズ
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職業

シンガーソングライター

ピアニスト

作曲家

担当楽器

ボーカル

ピアノ

サクソフォーン

活動期間1947年 - 2004年[3]
レーベル

アトランティック

ABC

タンジェリン

ワーナー・ブラザース

スウィング・タイム(英語版)

コンコード

コロムビア

フラッシュバック

共同作業者

ザ・レイレッツ(英語版)

USAフォー・アフリカ

パーシー・メイフィールド

公式サイトレイ・チャールズ 公式サイト

レイ・チャールズ・ロビンソン・シニア(英語: Ray Charles Robinson Sr.[note 1]1930年9月23日 - 2004年6月10日)は、アメリカ合衆国ジョージア州オールバニ出身の歌手、作曲家、ピアニスト。史上最も象徴的で影響力の強い歌手の1人とみなされており、同世代の人々からしばしば「The Genius(天才)」と呼ばれていた。友人および音楽仲間の間では「Brother Ray」と呼ばれることを好んだ[4][5]。幼少期に緑内障が原因とされる盲目というハンディを背負った[6]

1950年代、ブルースジャズリズム・アンド・ブルースゴスペルを融合して「ソウルミュージック」を創った第一人者として、アトランティック・レコードでレコーディングを行なった[7][6][8][9]。1960年代、ABCレコードにて『Modern Sounds in Country and Western Music』、『Modern Sounds in Country and Western Music Volume Two』の2枚のModern Soundsアルバムをリリースしてジャンルを越えた成功を収め、カントリー・ミュージック、リズム・アンド・ブルース、ポップ・ミュージックの融合にも貢献した[10][11]。ABC在籍中、チャールズは主要レコード会社により芸術的決定権が与えられた最初の黒人音楽家の1人となった[8]

1960年、ヒット曲「我が心のジョージア」は「ビルボード」誌のシングルチャートで第1位を獲得した3曲のうちの1曲目となった。1962年のアルバム『Modern Sounds in Country and Western Music』は「ビルボード」誌のアルバムチャートで第1位を獲得した最初のアルバムとなった[12]。「ビルボード」誌において、アメリカR&Bシングルチャートに44枚、ホット100シングルチャートに11枚、ホットカントリーシングルチャートに2枚と各種チャートの40位以内に複数のシングルがチャートインした[13]

チャールズはナット・キング・コールから大きな影響を受けたと語っているが、チャールズの音楽はルイ・ジョーダンチャールズ・ブラウンの影響を受けている[14]。生涯を通じてクインシー・ジョーンズと友人であり、共に演奏することもあった。フランク・シナトラは「ショービジネス界で唯一の真の天才」と呼んだが、チャールズはこの発言を重要視しなかった[15]ビリー・ジョエルは「言葉が悪いかもしれないが、私はレイ・チャールズはエルヴィス・プレスリーより重要だったと考えている」と語った[16]

音楽への貢献によりケネディ・センター名誉賞国民芸術勲章、ポーラー音楽賞(英語版)を受賞した。1986年、ロックの殿堂に初めて殿堂入りした人物の1人となった。グラミー賞に18回(没後5回)受賞し[12]、1987年、グラミー賞特別功労賞を受賞し、グラミーの殿堂に10枚のシングルおよびアルバムが殿堂入りした[12]。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第2位[17][18]、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第10位[19][4]、「Q誌の選ぶ歴代の偉大な100人のシンガー」において第24位[20]にランクインした。2022年、カントリー・ミュージックの殿堂、ブラック・ミュージック・エンターテイメントの殿堂に殿堂入りした[21]
生い立ちおよび教育

1930年9月23日、ジョージア州オールバニにて、肉体労働者の父ベイリー・ロビンソン、フロリダ州グリーンビル出身の洗濯作業員の母アレサ(リーサ)・ロビンソン(旧姓ウィリアムズ)のもとに生まれた[22][note 1]

アレサの子供の頃に母親が亡くなり、父親も育てられなかった。父親の同僚のベイリーが妻メリー・ジェーンと共にアレサを非公式ながら養女に迎え、アレサは姓をロビンソンに変えた。数年後、15歳となったアレサはベイリーの子を妊娠した。地元のスキャンダルとなり、1930年晩夏、グリーンビルを離れて親族のいるオールバニに転居した。息子となるレイ・チャールズを出産後、アレサと幼いチャールズはグリーンビルに戻った。アレサは、息子を亡くしたメリー・ジェーンと共にチャールズを育てた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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