レイ・チャールズ・ロビンソン・シニア(英語: Ray Charles Robinson Sr.[note 1]、1930年9月23日 - 2004年6月10日)は、アメリカ合衆国・ジョージア州オールバニ出身の歌手、作曲家、ピアニスト。史上最も象徴的で影響力の強い歌手の1人とみなされており、同世代の人々からしばしば「The Genius(天才)」と呼ばれていた。友人および音楽仲間の間では「Brother Ray」と呼ばれることを好んだ[4][5]。幼少期に緑内障が原因とされる盲目というハンディを背負った[6]。
1950年代、ブルース、ジャズ、リズム・アンド・ブルース、ゴスペルを融合して「ソウルミュージック」を創った第一人者として、アトランティック・レコードでレコーディングを行なった[7][6][8][9]。1960年代、ABCレコードにて『Modern Sounds in Country and Western Music』、『Modern Sounds in Country and Western Music Volume Two』の2枚のModern Soundsアルバムをリリースしてジャンルを越えた成功を収め、カントリー・ミュージック、リズム・アンド・ブルース、ポップ・ミュージックの融合にも貢献した[10][11]。ABC在籍中、チャールズは主要レコード会社により芸術的決定権が与えられた最初の黒人音楽家の1人となった[8]。
1960年、ヒット曲「我が心のジョージア」は「ビルボード」誌のシングルチャートで第1位を獲得した3曲のうちの1曲目となった。1962年のアルバム『Modern Sounds in Country and Western Music』は「ビルボード」誌のアルバムチャートで第1位を獲得した最初のアルバムとなった[12]。「ビルボード」誌において、アメリカR&Bシングルチャートに44枚、ホット100シングルチャートに11枚、ホットカントリーシングルチャートに2枚と各種チャートの40位以内に複数のシングルがチャートインした[13]。
チャールズはナット・キング・コールから大きな影響を受けたと語っているが、チャールズの音楽はルイ・ジョーダン、チャールズ・ブラウンの影響を受けている[14]。生涯を通じてクインシー・ジョーンズと友人であり、共に演奏することもあった。フランク・シナトラは「ショービジネス界で唯一の真の天才」と呼んだが、チャールズはこの発言を重要視しなかった[15]。ビリー・ジョエルは「言葉が悪いかもしれないが、私はレイ・チャールズはエルヴィス・プレスリーより重要だったと考えている」と語った[16]。