RCA復帰第一作となった『ブルー・マスク』ではロバート・クイン(英語版)のギターを得てラフかつノイジーなロックにハードな感触を加えたサウンドに転換、ほぼ同一の布陣で更にオーソドックスなロックへ遡行した『レジェンダリー・ハーツ』を制作した。その後『ニュー・センセーションズ』『ミストライアル』ではあえて時流に歩み寄った我流のニュー・ウェイヴを展開し、リスナーを戸惑わせた。しかし『ニュー・センセーションズ』においてはL. シャンカールやブレッカー・ブラザーズといったビッグ・ネームと共演しており、後年のリードのアプローチの布石ともなっている。
1989年、自身のルーツと向き合う形となったアルバム『ニューヨーク』で「復調」、翌年アンディ・ウォーホルの追悼としてかつての盟友ジョン・ケイルと『ソングス・フォー・ドレラ』を制作。以後1990年代前半の断続的なヴェルヴェット・アンダーグラウンド再結成をはさみ、『マジック・アンド・ロス』『セット・ザ・トワイライト・リーリング』『エクスタシー』といったアルバムを発表、かつてよりスローなペースながら健在を印象付けた。
2003年にはエドガー・アラン・ポー、殊に「大鴉」を題材にした『ザ・レイヴン』をリリース、自身の現代文学的な詩世界と古色蒼然たる古典文学の融和をドラマティックな音楽によって表現し新境地を開いている。2011年にはフランク・ヴェーデキントの「ルル二部作」をモチーフとした『ルル』を発表。スピーディかつ起伏に富んだ音楽性のメタリカを起用しながら、ヴェルヴェッツ時代を想起させる頽廃的な酩酊感と1990年代のメタリカさながらのヘヴィなグルーヴが同居するサウンドとポエトリーリーディングという異色のアプローチをとった作品となった。
その時代時代、またはアルバムごとにアプローチを転換しながら、その強烈な個性によって作品をあくまでポピュラーなロックサウンドとして成立させる手腕を持つリードであるが、同時にアプローチ転換の結果としてファンやプレスを当惑させるような「問題作」を発表することがある。二枚組・60分間強の間ギターの多重録音によるノイズのみが収録された『無限大の幻覚(原題:Metal Machine Music)』(1970年代の人気絶頂期に発表されたことで大きな賛否を巻き起こした)、元々自身のメディテーション用にプライヴェートに制作された単調な電子音の反復によるアンビエント『Hudson River Wind Meditations』、Metal Machine Trio名義で本格的なアンビエントとノイズミュージックの双方に着手した『The Creation of the Universe』、ジョン・ゾーンやローリー・アンダーソンとの連名によるフリー・インプロヴィゼーション作品『The Stone: Issue Three』はその一例である。
ロックンロール、フォーク、ソウルなどのトラディショナルなポピュラー音楽を源流に持ちながら、(自身の特徴的なボーカルやギターを時に無視してまでも)時流とも向き合いつつ我が道を歩み続けている。時代ごとにパートナーを一新してはアルバムごとに特色を打ち出す、多彩な音楽性を往還しながらあくまでもそれらをロックとして成立させる、いくつかの例外を除いて一貫して自身の詩作を重視するなど、多くの偏屈とも言えるこだわりを堅持し続ける彼の信奉者はいまだに多く、現在もなおファンや音楽評論家、他のミュージシャンから広く賞賛を浴びている。
2007年には南京大虐殺をあつかった映画『NANKING』のために楽曲を提供する[3]。
生活の大半をニューヨークで過ごしており、作品にも好んで取り上げられる。
1996年に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはロックの殿堂入りを果たし、2015年には、個人でもロックの殿堂入りを果たした。またリードは、1995年のフランク・ザッパ、2008年のレナード・コーエンが同じく殿堂入りした際に、プレゼンターとして出向いた。ザッパに於いては、マザーズ・オブ・インヴェンションと自らのヴェルヴェット・アンダーグラウンドを対比させて、ザッパの音楽的功績を称えるスピーチをしている。
私生活では長らくバイセクシュアルであるとされ、結婚を三度経験している。その最も新しいパートナーであるヴァイオリニストのローリー・アンダーソンとは、長きにわたるパートナーシップの結果、2008年4月12日に正式に結婚したことが明らかとなった。挙式はコロラド州にて、ごくプライベートな形で行われたという。
2013年に入ってから肝臓の移植手術を受けたことがメディアで報じられ、予後にローリー・アンダーソンとの外出写真が出るなどしたが、10月27日、肝臓疾患の関連病のためニューヨーク州サウサンプトンにある自宅で死去[4]。71歳没。
遺産については妻のローリー・アンダーソン、リードの妹に母親の介護資金として分配され、また、リードの作品の許認可や著作権管理などは、これまでリードを支えてきたビジネス・マネージャーと会計士に引き続き託されることになるという[5]。
リードの死去のニュースを受け、多くのミュージシャンが追悼のコメントを寄せている。
追悼コメントを寄せた主なミュージシャンは、以下の通り。
デヴィッド・ボウイ、ジョン・ケイル、ベック[要曖昧さ回避]、ザ・フー、ライアン・アダムス、カール・バラー、ネイサン・フォロウィル(キングス・オブ・レオン)、ジェラルド・ウェイ、リー・ラナルド(ソニック・ユース)、サブ・ポップ、ナイル・ロジャース、ウィーザー、パトリック・カーニー(ザ・ブラック・キーズ)、アーヴィング・ウェルシュ、トム・モレロ、ポール・エプワース[6]、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ[7]、ラーズ・ウルリッヒ(メタリカ)[8]、U2[9]、パティ・スミス[10]、エイドリアン・ブリュー[11]、イギー・ポップ[12]、モリッシー、ジュリアン・カサブランカス(ザ・ストロークス)、ニッキー・シックス(モトリー・クルー)[13]。