ルーム・セルジューク朝(ルーム・セルジュークちょう、ペルシア語: ???????? ??? Salj?qiy?n-i R?m、英: Rum sultanate)は、セルジューク朝(大セルジューク朝)の地方政権として分裂して成立し、アナトリア半島を中心に支配したテュルク人のイスラム王朝である。当初、首都はニカイア(現在のイズニク)に定められていたが、1097年に第1回十字軍によってニカイアが占領されたため、再びコンヤを都とした。「ルーム」とは「ローマ」の意味で、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)領であったアナトリアの地を指す言葉としてイスラム教徒の間で用いられ、アナトリアを拠点としたことからルーム・セルジューク朝という。
歴史
建国初期ニカイアのイスタンブール門ニカイア包囲戦ドレリウムの戦い
建国者のスライマーン1世・イブン=クタルミシュは、セルジューク家の祖セルジュークの玄孫にあたる[1]。スライマーンの父クタルミシュはアルプ・アルスラーンとセルジューク朝の王の地位を争うが、1063年のデヘ・ナマクの戦いで敗れ、敗走の途上で没した[2]。敵対者の子であるスライマーンは命こそ助けられたが、王族としての扱いは受けられなかった[3]。