ルーマニア
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1人あたり3万517.480[2]ドル

独立連合公国の成立
1859年2月5日
オスマン帝国の宗主権喪失
1877年5月9日
通貨ルーマニア・レウRON
時間帯UTC+2 (DST:+3)
ISO 3166-1RO / ROU
ccTLD.ro
国際電話番号40

ルーマニア(: Romania)は、東ヨーロッパバルカン半島東部に位置する共和制国家首都ブカレスト。南西にセルビア、北西にはハンガリー、北がウクライナ、北東をモルドバ、南にブルガリアと国境を接し、東は黒海に面している。

国土の中央をほぼ逆L字のようにカルパティア山脈が通り、山脈に囲まれた北西部の平原のトランシルヴァニア、ブルガリアに接するワラキア、モルドバに接するモルダヴィア、黒海に面するドブロジャの4つの地方に分かれている。
概要

ルーマニアはヨーロッパにおいて国土面積が第12位であり、また、欧州連合の加盟国としては人口密度が第6位となっている。主要都市は首都で最大の都市でもあるブカレストをはじめ、クルージュ・ナポカヤシティミショアラコンスタンツァクラヨヴァブラショフガラツィが挙げられる。

ヨーロッパにおいて第2位の長さの河川であるドナウ川が近隣に位置し、カルパティア山脈が北から南西にルーマニアの国土を横断している。国土は、標高2,544 m(8,346ft)のモルドベアヌ山を含んでいる[3]

ルーマニアは「多種多様な民族によって形成された国家」であるといって過言ではない。同国の住民は、紀元前からこの地方に住んでいたトラキア系ダキア人と、2世紀ごろにこの地方を征服した古代ローマ人、7世紀から8世紀ごろに侵入したスラブ人9世紀から10世紀に侵入したマジャール人、その他にトルコ人ゲルマン人などの混血や同化によって、重層的かつ複合的に形成された等と言述される複合民族 romani(ロムニ、ルーマニア人)が約9割を占める[注釈 1]

そして少数のマジャール系のセーケイ人ロマ人(≒ジプシー[注釈 2]なども住んでいる。なお、同国人口の大半はルーマニア人であり、宗教的には東方正教会のキリスト教が主体となっており、ロマンス語[注釈 3]に分別される言語であるルーマニア語が用いられている。

現代のルーマニア国家は、1859年にモルダヴィアとワラキアのドナウ公国の個人的な連合によって形成されたものに端を発する。

現在のルーマニア地域への定住は、旧石器時代に始まり、古代末期のローマ帝国によるダキア王国とその征服、その後のローマ化を証明する文書記録が確認されている。1866年から正式に「ルーマニア」と名付けられた国家は、1877年にオスマン帝国から独立を果たした。

第一次世界大戦中、ルーマニアは1914年に中立を宣言した後、1916年から連合国と共に参戦した。戦後、ブコヴィナ、ベッサラビア、トランシルヴァニア、バナト、クリシャナ、マラムレシュの一部は前身国家であるルーマニア王国の構成地域となった。1940年の6月から8月にかけて、モロトフ・リッベントロップ協定第二次ウィーン裁定の結果、ルーマニアはベッサラビアと北ブコヴィナをソビエト連邦へ、北トランシルヴァニアをハンガリーへ割譲することを余儀なくされた。更に同年11月、ルーマニア王国は日独伊三国同盟に調印し、1941年6月には枢軸国側として第二次世界大戦に参戦し、1944年8月に連合国へ加わり、北トランシルヴァニアを奪還するまでソ連と交戦した。赤軍による侵略戦争と占領の後、同王国は社会主義共和国となり、ワルシャワ条約機構のメンバーとなった。1989年の革命後、ルーマニアは民主主義市場経済への移行を開始し、共和制国家へと転身。以後は現在に至っている。

ルーマニアは現在、先進国の一員であり[4][5][6]、国際情勢におけるミドルパワーとして台頭しつつある[7][8]。ルーマニアは2000年代初頭に急速な経済成長を果たしている。同国経済は現在、サービス業を主体とする商業に基づく形で成り立っており、自動車産業ではダチアやOMVペトロムなどの企業を通じて、自動車と電気エネルギーの生産ならびに純輸出を行なっている。その経済は欧州連合加盟国の中で最も急速に成長しており[9]、名目GDPで世界第44位、PPPでは第36位にランクされている。更にルーマニア国民は世界で最も速く且つ最も安いインターネット回線の1つを享受しており[10]、傍ら幸福度ランキングでも比較的上位にランクされている[11]

ルーマニアは国際連合(UN)、欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)、欧州評議会(CoE)、黒海経済協力機構(BSEC)、世界貿易機関(WTO)のメンバーの一国である。
国名

正式名称はルーマニア語で Romania [rom??ni.a] ( 音声ファイル)。原音により忠実にカナ表記すると「ロムニア」が近い。

国名の由来(語源)は、ラテン語で「ローマ人(ローマ市民)の土地」という意味の表現。

ハンガリー語の表記は Romania [roma?ni?](ロマーニア)。

かつて、英語では Rumania、ドイツ語では Rumanien、フランス語では Roumanie[注釈 4]と表記するなど、現地の発音とは一つめの母音から既にずれた表記が流通していた。近年では、現地の表記に沿う方向で修正される動きもあり、たとえば英語での公式表記は Romania となったが、英語はロマンス諸語に表記だけを似せても発音は「[ro??me?ni?] ( 音声ファイル)」(ロゥメイニア)となり、あまり参考にならない。
日本語表記

日本語の表記は、昔の英語式の表記に影響を受けた「ルーマニア」となっている。漢字表記は羅馬尼亜(羅馬尼亞)、緑馬尼、羅[注釈 5]と略される。中国語も同じく「羅馬尼亞」と表記する。

独立してからの日本語での正式名称は、以下のように変遷している。

1859年 - 1881年 ルーマニア公国(連合公国)

1881年 - 1947年 ルーマニア王国

1947年 - 1965年 ルーマニア人民共和国


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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