ルートヴィヒ・ベック
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ルートヴィヒ・ベック (右)と
ヴェルナー・フォン・フリッチュ (左) (1937年)

参謀総長として、ベックはベルリン郊外のリヒターフェルデの質素な家に住み、毎日9時から19時まで勤務していた[4]。参謀総長として、ベックはその知性と労働倫理で広く尊敬されていたが、しばしば他の将校から、管理上の詳細に関心が高すぎるという批判を受けた。ベックの参謀本部の役割に関する見解では、国防大臣は単なる事務的機能を果たしており、参謀総長は帝国指導部に直接助言できるべきであった。この見解に対し、国防大臣ヴェルナー・フォン・ブロムベルクはベックに反発した[8]

1936年、ベックはラインラント進駐において、フランスの反応を恐れたブロムベルクに対抗してヒトラーを強く支持し、同地帯の再武装を推進した[9]1937年後半から1938年初頭にかけて、ベックはドイツ軍の階層における参謀本部の地位と重要性について他の将校と対立を深め、すべての重要事項決定を参謀本部に移すことを望んだ[9]

1937年5月、ベックは、ドイツのオーストリア侵攻計画の実行命令(フォール・オットー)を作成するよう命じられた。1938年2月から3月のアンシュルスの間、ベックは、ドイツのオーストリアに対する侵略によって世界大戦が起こらないことを確信して、フォール・オットーの命令を迅速に作成した[10]。ベックの戦争概念では、戦争が限定的であり、ドイツが十分な力を持ち、十分な力を持つ同盟国がいれば、ドイツを大国に回復させるために必要なことであった[11]

軍事テクノクラートとして、当時のドイツの軍事力ではイギリスフランスなどを相手に戦った場合に勝算の無いことを見越し、ヒトラーの威圧的な外交政策に懐疑的であった。ドイツを大戦前の強国に戻すために、ヒトラーが主張するチェコスロバキアに対する攻撃自体には反対していなかったが、少なくとも1940年以前は無理とみていた。

1938年、ヒトラーの計画通りに、チェコ国内に少数民族として生活するドイツ系住民の民族自決に関わるズデーテン問題が先鋭化したとき、ベックら一部の陸軍将官は、ヒトラーがチェコ侵攻を命じた場合、戦争を回避するためにヒトラーを逮捕するクーデター計画を準備していた。しかし英仏両国が外交的譲歩をしたためチェコ侵攻命令は出されず、この計画は実行されなかった。

ベックはヒトラーが行ったブロンベルク国防相らの更迭に不満を持ち、既に1938年8月に参謀総長職の辞表を提出、第1軍司令官を拝命した直後の同年10月に退役し、以後軍務に戻る事はなかった。
抵抗運動と死ヒトラー暗殺未遂事件の実行者の最期の地にある記念碑(ベルリン・ベンドラーブロック)

間もなく第二次世界大戦が勃発。ベックの予測と異なりドイツ軍は最初は快進撃を続けたものの、結局は劣勢になり敗戦は避けられない見通しになった。既にベックは退役していたものの、カール・ゲルデラーと共に反ヒトラー抵抗運動の中心人物となっていた。ただし今日では、ベックの批判の対象はヒトラーの軍事・外交指導の誤りであって、独裁体制そのものではなかったとみなされている。

数度にわたりヒトラー暗殺計画と新政府樹立が立案されていたが、その中では成功の暁にはベックが「大統領」として国家元首に就任し、首相就任が予定されたゲルデラーと共に、ドイツを破滅から救うために連合国と停戦交渉をすることになっていた。

1944年7月20日、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐により爆弾による暗殺・クーデター作戦が実行されたが、失敗に終わった。ベックはベルリンで逮捕され、フリードリヒ・フロム将軍の黙認を得て自殺する機会を与えられたが、ピストル自殺に失敗し重傷を負った。フロムの命を受けた部下によりとどめの一発を受け、ベックは拷問や不当かつ不名誉な裁判といったナチスの非道な報復を避けることが出来た。
評価

参謀総長時代にはハインツ・グデーリアンの戦車部隊の集中運用に懐疑的で、ベックは古い型の将軍であったとも評される。一方では1936年初頭には戦車部隊における対戦車攻撃力の重視や戦車部隊の集中投入、攻撃的な運用が可能な完全自動車化師団の設立を支持する報告書も書いており、先進的な部分も見受けられる。彼の悪評にはグデーリアンと保守的な参謀本部将校の間で板挟みになってしまった結果という面もあると思われる。

ベックはあくまで軍人であり、その政治姿勢は決して民主主義的でも平和主義的でもなかったが、ナチス体制下においてヒトラーに抵抗した人物として、今日のドイツでは高い評価を受けている。
栄典
外国勲章

1937年11月8日 - 勲一等瑞宝章[12]

文献

清水多吉石津朋之編『クラウゼヴィッツと「戦争論」』彩流社 2008年。

(ベックの戦略論についての言及を含む。ベックの軍事戦略思想についてクラウゼヴィッツとの共通性を論じている)

Wheeler-Bennett, John (1967), The Nemesis of Power: The German Army In Politics, 1918?1945, London: Macmillan 

May, Ernst (2000), Strange Victory, New York: Hill & Wang 

Murray, Williamson (1984), The Change in the European Balance of Power, 1938?1939 The Path to Ruin, Princeton: Princeton University Press, .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-0-691-05413-1, https://archive.org/details/changeineuropean0000murr 

Muller, Klaus-Jurgen (1985), “The Structure and Nature of the National Conservative Opposition in Germany up to 1940”, in Koch, H. W., Aspects of the Third Reich, London: Macmillan, pp. 133?178, ISBN 978-0-333-35272-4 

Muller, Klaus-Jurgen (1983), “The German Military Opposition before the Second World War”, in Mommsen, Wolfgang; Lettenacke, Lothar, The Fascist Challenge and the Policy of Appeasement, London: George Allen & Unwin, pp. 61?75, ISBN 978-0-04-940068-9 

Weinberg, Gerhard (1980), The Foreign Policy of Hitler's Germany Starting World War II, Chicago: University of Chicago Press, ISBN 978-0-226-88511-7 

Wheeler-Bennett, John (1967), The Nemesis of Power: The German Army In Politics, 1918?1945, London: Macmillan 

脚注[脚注の使い方]^ Foerster, Wolfgang: Beck, Ludwig August Theodor. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 1, Duncker & Humblot, Berlin 1953, ISBN 3-428-00182-6, S. 699 ( ⇒電子テキスト版).
^ “On the German Art of War Truppenfuhrung”. Lynne Rienner Publishers. 2019年6月10日閲覧。
^ a b Wheeler-Bennett 1967, p. 217.


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