ルーシー_(アウストラロピテクス)
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その日の騒ぎの中で、ビートルズの曲「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」がテープレコーダーから繰り返し流れていたからである[15]。ただし、当夜の騒ぎの中で、具体的に誰が提案してそう命名されることになったのかなどは分からなくなっている[12]

それからの3週間で、重複の一切ない数百もの骨の破片が見付かり、それらが一体の人骨だったという当初の憶測を裏付けた。調査隊はさらに分析を進め、それが全体の40%にもなることが分かった。この数値については、手足の骨の一部を除いた算定であるとして、実際には20%台と見積もる見解もあるが、発見当時としては驚異的な数値だった[16]。なお、1994年にはアファール盆地で身長120cmのラミダス猿人アルディ」が発見され、最古の猿人は440万年前にまで遡ることになったが、その発見の詳細は2009年まで公刊されることがなかった[17][18]。このアルディが発表された時点でも、10万年以上前のホモ属やアウストラロピテクス属の全身骨格は、トゥルカナ・ボーイセラム、リトル・フット、ルーシー、アルディの5体しかなかった[19]。ルーシーはそれらの中で最も早く発見された全身骨格であった。

ジョハンソンは、完全に復元できた骨盤仙骨から骨盤の開き具合を判断し、これが女性の人骨であると考えた[15]。ルーシーは身長 1.1 m[20]、 体重29 kgで、一般的なチンパンジーに近いようにも見える。しかし、この小さな脳、骨盤、足の骨を持つ存在は、機能的には現代人と一致しており、確かに直立歩行していたことを示している[21]

ジョハンソンと、彼の同僚でカリフォルニア州出身の古人類学者ティム・ホワイト (Tim White) は、発見された新たな人骨群、すなわちアウストラロピテクス・アファレンシスを、390万 - 300万年前に生きていたヒトとチンパンジーの最後の共通の祖先として位置づけた(より古いラミダス猿人の骨が発見されたのは、彼らの発見の20年後である)。チンパンジーの系統により近い人骨は、1970年代以降見つかってはいたが、人類の起源を研究する古人類学者たちにとっては、ルーシーは至宝の座にありつづけた。より古い人骨は断片で見つかるのが常であったため、二足歩行の段階や現生人類との関係についての確定的な結論を出すには至っていなかったからである。

ジョハンソンは、当時のエチオピア政府の合意を得て、クリーブランドに骨格標本を持ち帰ったが、9年ほど後に合意に従ってエチオピアに返却した。ルーシーは世間の耳目を集めた最初の化石人骨で、国際調査隊の一連の調査で発見された人骨の中では最も有名になった[22]。アファール猿人の段階に位置づけられている彼女のオリジナルの骨格標本は、現在アディスアベバにあるエチオピア国立博物館(英語版)に保管されていて、石膏の模型が本物の代わりに展示されている[12]。オリジナルから型を採った複製は、アリゾナ州立大学人類起源研究所が所有しているほか[12]、再現された姿でクリーブランド自然史博物館 (Cleveland Museum of Natural History) にも展示されている[23]。アファール猿人やその先行者それぞれの生活ぶりを再現し、科学者たちが推定している行動や能力を示してくれるジオラマは、ニューヨークのアメリカ自然史博物館の人類生物学・進化ホール (Hall of Human Biology and Evolution) に展示されている。

ルーシーの発見以後も、1970年代を通じてアファール猿人の化石は発見されており、変異の範囲や性的二形 (sexual dimorphism) の問題について、より深く理解できるようになっている[12]。当初アファール猿人については、ルーシーとは体格が異なる骨格を別の種と解釈する見解があったが、1992年に発見された男性の骨 (AL444-2) などによって、体格の違いは性別による違い、すなわち性的二形によるものと解釈されるようになった[24]。また、こうした比較の結果、ルーシーはアファール猿人の中でも特に小柄な個体であったと認識されるようになっている[25]
年代の推定

化石の年代測定は1990年から1992年に、ルーシーの周囲にあった火山灰を放射年代測定の一種であるアルゴン-アルゴン法 (Argon-argon dating) にかけることで行なわれた。

アワッシュ盆地で発見された人骨を年代測定しようとする試みは、ルーシーが発見されるよりも前に、1973年から1974年にかけてカリウム-アルゴン法 (K-Ar dating) を適用して、ジェイムズ・アロンソン (James Aronson) の研究所(当時はCWRUにあり、のちにダートマスに移った)でも行なわれたことがあった。タイーブやアロンソンによるそうした初期の試みは、年代を測定できる試料の不足や、この地域の火山岩が化学的に変性していたりで、うまくは行かなかった。ルーシーの人骨はハダール地方でも堆積物が特に早く積み重なっていく場所で、そのことが彼女の人骨や火山灰の良好な保存につながった。

ハダールでのフィールドワークは1976年から1977年の冬に中断され、その後、エチオピアのメンギスツ政権の方針で完全に途絶させられてしまい、1990年になって再開された[26]。その間にアルゴン-アルゴン法はデレク・ヨーク (Derek York) のおかげで正確さが向上していた。1990年から1992年に、アロンソンとロバート・ウォルター (Robert Walter) によって測定に適した火山灰の標本2件が発見され、人類起源研究所での年代測定の結果、322万年から318万年前と測定された[27]
年齢

ルーシー自身の年齢については、骨の状態から推測されている。その骨の特徴は成長を終えたものであることを示しているが、それほど高齢になっていなかったことを示している[12][22]。発見者であるジョハンソンは25歳から30歳くらいと推測し、獣による襲撃の跡がないことから、病気か水難事故によって水のある場所で死に、死後すぐに泥に埋もれたとしていた[28]。ただし、死因はその後も特定されていない[12][22]。2016年には、右上腕骨の折れ方から、木など高いところから落ちて死亡したのではないかという説がイギリスの科学誌ネイチャーに発表されている[29][30]
顕著な特質ルーシー(複製)「アウストラロピテクス・アファレンシス」も参照

ルーシーの骨格には、次のような特質がある。
二足歩行の痕跡

ルーシーの最も印象的な特質のひとつは、外反足である。このことは、彼女が普通に二足歩行をしていたことを示している[31]

彼女の大腿骨は骨頭が小さく、骨頚が短い。それらは原始的な特徴ではあるのだが、一方で大転子は(大腿骨頭より高位にならず)明らかに短くなり、現生人類に近づいている。

彼女の大腿骨の長さに比べた上腕骨の長さの比は84.6%である。現代人の71.8%、一般的なチンパンジーの97.8%に比べると、アファール猿人の腕が短くなり始めているか、足が長くなり始めているか、あるいはその両方が同時進行しているかのいずれかを意味している。


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