ルター派
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パッヘルベルJ.S.バッハテレマンメンデルスゾーンなど著名な音楽家が多く所属し、ルター自身も賛美歌作家であったことから、作曲家や音楽家に縁がある教会としても知られる。
名称

「ルーテル」という日本語名は、マルティン・ルター (Martin Luther) の舞台ドイツ語読みに由来する。日本国内の教団・教会は日本福音ルーテル教会日本ルーテル教団西日本福音ルーテル教会近畿福音ルーテル教会などいずれも名称に「ルーテル」を含むが、この日本語名を積極的に用いたのは日本のルーテル教会関係者と彼らによる出版物であった。日本では舞台ドイツ語による発音記号を三修社ドイツ語辞書が優先的に採用していた。また、信徒のことを「ルテラーナー(ドイツ語: Lutheraner)、ルーサラン(: Lutheran)」と言うことがある。

他方、石原謙大塚久雄佐藤繁彦東京帝国大学出身の歴史学者や神学者は早くから「ルター派(ルッター派)」という名称を使いはじめ、岩波書店山川出版社新教出版社等で発行される歴史や神学専門書においてもルター派(ルッター派)という名称が広く用いられていた。日本のルーテル教会関係者以外の旧日本基督教会日本基督教団無教会に属する学者、研究者たちはルター派(ルッター派)という名称を積極的に用いた。
歴史プロテスタント諸教派(聖公会アナバプテストを含む)の系統概略

1517年ローマ・カトリック修道司祭聖アウグスティノ会)だったマルティン・ルターによってドイツ宗教改革が始められた(ドイツ・ヴィッテンベルクにおける「95ヶ条の論題」)。ルターは最初、新しい教会を建てるつもりではなく教会内部の改革を目指していたが、カトリック教会から破門されて[1]妥協を許さない状況になり、ルターは明確な信仰基準や組織を必要とするようになった。北欧にもルター派の教義は広まり、スウェーデンではグスタフ1世が、デンマーク=ノルウェーではクリスチャン3世がルター派をそれぞれの国教とし、権力強化に利用した。

1555年アウクスブルクの和議の結果、ルター派(ルーテル教会)はドイツ国内での法的権利が認められた。1580年、ルター派の教理的な立場を示す「和協信条」が制定される。

アメリカへはヨーロッパからの移民と共に、ルター派の勢力が拡大、18世紀の中頃になり本格的な教派の生成が行われた。19世紀以降、ドイツや北欧のルター派が大量に移住し、アメリカ中西部を中心にして定住した。

1817年プロイセンにおいてルター派と改革派による合同教会が設立された。教会合同によって設立されたプロイセン福音主義教会には、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって作成された礼拝式文が下賜された。その式文はニュルンベルクのルター派教会礼拝式に倣ったものであり、ローマ・カトリック教会のミサに準拠したものであった[2]。この復古的式文の影響はプロイセン以外のドイツのルター派領邦教会にまで及び、簡素な礼拝に向かっていたドイツのルター派教会の礼拝は宗教改革以前の様式に戻ってしまった。プロイセン福音主義教会はその後、古プロイセン合同福音主義教会と名称を変えていく。この合同教会内ルター派から告白教会の指導者マルティン・ニーメラーと神学者ディートリヒ・ボンヘッファーが輩出される。

この合同に加わらなかったドイツ人ルター派の一部がアメリカに移民し、セントルイス周辺で発展して、ルター派教会ミズーリシノッドを形成した。このルター派教会ミズーリシノッドはその後も独自の保守的路線を一貫して守り、20世紀におこなわれたアメリカ国内のルター派教会合同の流れにも加わらなかった。アメリカには880万人のルター派教会の会員がいる。19世紀以降、ドイツ、北欧やアメリカからアジアやアフリカへ伝道がなされ、タンザニアインドネシアには大きなルター派教会が存在している。19世紀以降、ドイツからの移民が南米諸国にも向かい、ルター派教会が各地で設立された。
ルター派教会とエキュメニカル運動

1947年スウェーデンルンドルター派世界連盟が組織されて、多くのルター派教会(ルーテル教会)が加盟した。この連盟は、世界のルター派の友好、協力、エキュメニカル運動への参加を目的として活動している(世界的共同体であり、79ヶ国、145の加盟教会、約7千万人のキリスト者を擁している)。ただし、ルター派世界連盟は狭い意味での教派ではなく、改革派教会の組織に並行加盟しているルター派系合同教会の加盟も認めている。ルターによる宗教改革の遺産を継承する全ての教会に門戸を広げているのがルター派世界連盟である。2009年には、宗教改革の口火を切った都市ヴィッテンベルクにも出先機関が置かれた。しかし、独立福音ルター派教会(ドイツの自由教会)や米国のルター派教会ミズーリシノッド、ルター派教会ウィスコンシン・シノッドのような保守的な古ルター派教会は、この連盟のリベラルな神学やエキュメニカル運動への積極的関与を批判して、加盟していない。

ルター派世界連盟カトリック教会1999年10月31日に「義認の教理に関する共同宣言(Joint Declaration on the Doctrine of Justification)」に調印し、カトリック教会も信仰によって福音を理解することを公式に宣言した。この宣言では、トリエント公会議による信仰義認主張者への断罪はルター派教会(ルーテル教会)に適用されず、またルターによる信仰義認否定者への断罪はカトリック教会に適用されないと定めた。この共同宣言の支持者たちは、このことをもってカトリック教会が信仰義認の教理をルター派に適用したとみなしているが、ルター派教会ミズーリシノッド、ルター派教会ウィスコンシン・シノッド、福音ルター派自由教会 (ELFK)のような保守的な古ルター派はそのような解釈を拒んでいる。また、調印される前年の1988年、テュービンゲン大学福音主義神学部教授のエーバーハルト・ユンゲルを代表にして160人の福音主義神学者たちがこの共同宣言に反対を表明した[3]。宗教改革の源流であり、神学研究の中心地ドイツのルター派から強い批判を受けながらもこの共同宣言は強引に進められた。

北欧を中心にヨーロッパの一部のルター派教会は使徒継承性を主張しており、同じく使徒継承を主張するヨーロッパのアングリカン・コミュニオン聖公会)所属教会らと、1994年フィンランドポルヴォーで合意文書に調印した。この合意文書に調印した教会をポルヴォー・コミュニオンといい、これらの教会は相互にフルコミュニオンの関係にある。
教義

宗教改革の3原則 ―「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」― に基づく信仰義認の立場をとる。

教会で保持されるべきものはみ言葉(「聖書」とその福音の正しい説き明かしである「説教」)と二つの聖礼典洗礼聖餐)であるとする。

聖餐は「パン」と「ぶどう酒」の二種陪餐(正教会聖公会カトリック教会と同様)である。


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