ルスツリゾート
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2012年(平成24年)にリゾートホテルとしては日本国内初となる「ローカルハラル」を取得し、本格的にハラルを取り入れており[9]、2015年(平成27年)から海外版オンラインサイトにPayPalを導入している(ファストブッキング経由)[10]
歴史

ルスツリゾートの前身は、1972年に埼玉県に本社を置く大和観光が橇負山(そりおいやま)の土地を購入して開発した「大和ルスツスキー場」である[11][12]。現在の「ウエストMt.」(West Mt.)部分にスキー場とボウリング場付の宿泊施設をオープンしたことに始まり、好調な集客によりスキー場を拡大していった[11]

ところが不動産投資の失敗によって大和(旧・大和観光)が倒産[13]、村は新たにスキー場を経営する企業を探した[11]。1981年10月[14]、ロープウェイ運営のノウハウを生かしたスキー場経営を構想していた登別温泉ケーブルが留寿都村からの依頼を受け[15][16]北海道東北開発公庫の支援を受けつつ買い取り[17]、子会社「加森観光」を設立して営業を開始[11][18]。1982年からテニスコート造成を皮切りに[19]、積極的な投資を行って遊園地[20]・ゴルフ場・宿泊施設などを順次建設し、札幌・千歳・苫小牧・室蘭といった道央圏の主要都市から車で1時間半程の立地の良さを生かした通年型リゾートへ転換を図った[11]。特に遊園地事業においては閉鎖した遊園地や地方博覧会で使用していた中古機材を廉価で確保し投資を抑えながら施設の充実を図った[11]。一方、スキー場の拡張も行い、1987年に国道230号を挟んだ貫気別山(点名は風防留山)山麓にゲレンデを造成して「イーストMt.」(East Mt.)を、翌1988年にイーストの隣に「Mt.イゾラ」(Mt. Isola)をオープンし、コースの増設、ゴンドラやリフトを新設した[11]。1989年度には加森観光が単一の索道経営(リフト運営)企業として北海道内一の輸送人員となった[11]

これら一連のリゾート開発が成功した背景にはバブル景気やレジャーブームの影響などがあり、大規模な開発計画が立案しやすい状況が揃っていた[11]バブル崩壊後は拡張計画を縮小しながらも、レジャー施設の充実やコース・リフト増設などを行い、着実にリゾート全体の開発を推進[11]。1990年代後半、経営が悪化するリゾート事業者が続出する中、加森観光による段階的な投資がリゾートの魅力向上に繋がり、北海道外からの観光客やリピーターを獲得し、リゾート開発の数少ない成功事例の1つとなっている[11]
沿革

【S】スキー場関連 【A】遊園地関連 【H】宿泊施設関連 【G】ゴルフ関連 【O】その他

1964年昭和39年)埼玉県の大和観光が留寿都村で温泉・スキー場建設の調査に着手[21]

1972年昭和47年)【S】【H】留寿都村観光協会などの協力により、大和観光が「大和ルスツスキー場」(英称:Daiwa Rusutsu)を開設。ゲレンデはナイター対応1基を含むリフト5基・コース総延長3000m[12]。ロッジは鉄筋4階建て収容力300名で大浴場・スタンドバー・ボウリング12レーンを設け[12]、ホテル「大和ルスツ高原ホテル」(現・ハイランドロッジ棟)として営業された[22]

1981年(昭和56年)

【O】親会社の大和(旧・大和観光、1973年8月に社名変更)が前年の豪雪による大和ルスツの利用不振や不動産・旅行斡旋部門の経営悪化により協和銀行に2回目の不渡りを出し倒産、負債額約60億円[13]

【S】加森産業系列の登別温泉ケーブルの全額出資で加森観光を設立し大和ルスツスキー場を買収。リフト9基10コースを設け、スキー場としては初めてディスコや託児室を併設し[19]、11月22日より営業開始[23]。売却提示額は20億円[24]


1982年(昭和57年)

【O】テニスコート造成[11][19]、コテージ・ログハウス、屋内遊技場Big Box(現・ルスツアリーナ)建設[11]

【O】スキー場名称を「ルスツ高原スキー場」に改称[19]、リゾート施設の総称を「ルスツ高原」(英称:Rusutsu Kogen)とする。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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