これら一連のリゾート開発が成功した背景にはバブル景気やレジャーブームの影響などがあり、大規模な開発計画が立案しやすい状況が揃っていた[11]。バブル崩壊後は拡張計画を縮小しながらも、レジャー施設の充実やコース・リフト増設などを行い、着実にリゾート全体の開発を推進[11]。1990年代後半、経営が悪化するリゾート事業者が続出する中、加森観光による段階的な投資がリゾートの魅力向上に繋がり、北海道外からの観光客やリピーターを獲得し、リゾート開発の数少ない成功事例の1つとなっている[11]。 【S】スキー場関連 【A】遊園地関連 【H】宿泊施設関連 【G】ゴルフ関連 【O】その他
沿革
1964年(昭和39年)埼玉県の大和観光が留寿都村で温泉・スキー場建設の調査に着手[21]。
1972年(昭和47年)【S】【H】留寿都村観光協会などの協力により、大和観光が「大和ルスツスキー場」(英称:Daiwa Rusutsu)を開設。ゲレンデはナイター対応1基を含むリフト5基・コース総延長3000m[12]。ロッジは鉄筋4階建て収容力300名で大浴場・スタンドバー・ボウリング12レーンを設け[12]、ホテル「大和ルスツ高原ホテル」(現・ハイランドロッジ棟)として営業された[22]。
1981年(昭和56年)
【O】親会社の大和(旧・大和観光、1973年8月に社名変更)が前年の豪雪による大和ルスツの利用不振や不動産・旅行斡旋部門の経営悪化により協和銀行に2回目の不渡りを出し倒産、負債額約60億円[13]。
【S】加森産業系列の登別温泉ケーブルの全額出資で加森観光を設立し大和ルスツスキー場を買収。リフト9基10コースを設け、スキー場としては初めてディスコや託児室を併設し[19]、11月22日より営業開始[23]。売却提示額は20億円[24]。
1982年(昭和57年)
【O】テニスコート造成[11][19]、コテージ・ログハウス、屋内遊技場Big Box(現・ルスツアリーナ)建設[11]。
【O】スキー場名称を「ルスツ高原スキー場」に改称[19]、リゾート施設の総称を「ルスツ高原」(英称:Rusutsu Kogen)とする。
1983年(昭和58年)
【H】本館に宴会場増築[11]。別館「トラベルロッジ」開業[19]。
【A】遊園地「ルスツ高原カントリーランド」開業[20][11]。谷津遊園から大型機23機種と小型乗り物、'82北海道博覧会から大型機9機種などを移設した計43機種の遊具を設置し入園料のみで全機種乗り放題とする「POP(Pay One Price)方式」を導入[20]、券売所の削減と人員・金銭管理の効率化を図った[14]。
【S】ゴンドラ新設[11]、4人乗りで現在の羊蹄ゴンドラとなる[19]。
【O】スーパージャンボプール、キャンプ村開業[19]。
1984年(昭和59年)
【H】ログハウス増築[11]。
【A】マウンテンジェットコースター導入[19]。
1985年(昭和60年)【A】フライングカーペット、スタンディングコースター、シーパニック、キッチンミュージカル導入[19]。
1986年(昭和61年)
【A】ウォータースライダー導入[11]。
【S】ペアリフト増設・ナイター設備コース新設[11]。
1987年(昭和62年)
【S】イースト Mt.開設[11]、ゴンドラ3基・クアッドリフト1基・リフト9基と14コースを設ける[19]。
【H】ホテル新館「サウスウイング」完成[11]。スイスの建築家によるデザインで[25]、温泉・屋内プール・ショッピングモールを備え宿泊総収容人数を1500名とし大規模宿泊に対応する[19]。
【A】フリーフォール導入[19]。
1988年(昭和63年)
【S】Mt.イゾラ開設[11]。ゴンドラ4基・クワッドリフト1基・リフト11基と22コースを設ける[19]。
【G】タワーコース開場[11]。
1989年(平成元年)
【A】ウルトラツイスター[19]、グラスゴートレイン[26]、宙返りロケットを導入。
【H】ノースウィング完成[11]。2階建てメリーゴーラウンドを中心に地下1階から2階まで吹き抜けのヨーロッパ調の町並みを模した商業施設「カーニバルプラザ」(オールディ・ワールド・カーニバル[27])を備え[28]、宿泊総収容人数を2,400名とする[19]
【O】冬季営業よりリゾート施設総称を現在の「ルスツリゾート」に改称[19]。
【S】ウェスト Mt.ゴンドラ新設[11]。
【S】Mt.イゾラリフト・コース増設[11]。クワッドリフト・ペアリフトを1基ずつ、コースを3本増設[19]。
【S】フランスのスキーリゾート「イゾラ2000」(en
1990年(平成2年)
【S】Mt.イゾラのリフト・コース増設[11]。