1969年、ダーク・ボガードやヘルムート・バーガー、イングリッド・チューリン、シャーロット・ランプリングらを配した『地獄に堕ちた勇者ども』を発表。ナチスが台頭した1930年代前半のドイツにおける製鉄一族の凋落を描いた。この作品は三島由紀夫に激賞された。1971年には再びボガードを起用し、トーマス・マン[7]の同名小説を映画化した『ベニスに死す』を発表。第24回カンヌ国際映画祭で25周年記念賞を受賞した。同作はマーラーの交響曲第5番第4楽章アダージェットを一躍有名にした作品としても知られる。原作ではマーラーをモデルにした主人公アッシェンバッハは作家であるが、ヴィスコンティはそれを作曲家に変更している。また、タッジオを演じたビョルン・アンドレセンは本作をきっかけにアイドル的な人気を博した。翌1972年にはヘルムート・バーガーを主演に据え、バイエルン王ルートヴィヒ2世の即位から死までを史実に沿って描いた歴史大作『ルートヴィヒ』を発表。ヴィスコンティは撮影中に病に倒れたが、過酷なリハビリをこなした末に同作を完成させた。しかし、左半身の後遺症は生涯残り、以後は車椅子での生活を余儀なくされた。これら3作品は19世紀後半から20世紀前半のドイツ圏の爛熟と崩壊を遡る形で描いた「ドイツ三部作」と呼ばれる。
1974年、バート・ランカスターやヘルムート・バーガー、シルヴァーナ・マンガーノを起用した『家族の肖像』を発表。ランカスターが演じた孤独な老教授はヴィスコンティが自身を投影した人物とされる。日本ではヴィスコンティの死後、1978年に公開され、異例のヒットを記録。キネマ旬報ベストテンの第1位や日本アカデミー賞外国語映画賞などを受賞した。1976年にはガブリエーレ・ダヌンツィオの同名小説を映画化した『イノセント』を発表。貴族映画の傑作として高く評価された。ヴィスコンティの作品は、日本の映画館、名画座、深夜テレビ番組でも、さかんに上映された。
生涯に渡りバイセクシュアルであることをオープンにしていた。ヘルムート・バーガーに至ってはヴィスコンティの死後、「私はヴィスコンティの未亡人だ」と発言したこともある。父親もバイセクシュアルであったという。共産党員に所属したことがあったが、大変「貴族的な人物」で、撮影現場も含め常に周囲の人間からマエストロではなく伯爵と呼ばれていた。
愛用の香水は英国ペンハリガン製のハマム・ブーケ。また、ルイ・ヴィトンの鞄を愛用していたが、当時は同社が有名ではなかったので、出演者が勘違いして「さすがはミラノの御貴族だけある。トランクの生地にすらイニシャル(偶然の一致で同じL.V)を入れてオーダーするとは」と感嘆したという逸話がある。
フィルモグラフィ
長編映画
郵便配達は二度ベルを鳴らす Ossessione (1943年)
揺れる大地 La terra trema: episodio del mare (1948年)
ベリッシマ Bellissima (1951年)
夏の嵐 Senso (1954年)
白夜 Le notti bianche (1957年)
若者のすべて Rocco e i suoi fratelli (1960年)
山猫 Il gattopardo (1963年)
熊座の淡き星影 Vaghe stelle dell'orsa (1965年)
異邦人 Lo straniero (1967年)
地獄に堕ちた勇者ども The Damned / La caduta degli dei (1969年)
ベニスに死す Death in Venice / Morte a Venezia (1971年)
ルートヴィヒ Ludwig (1972年)
家族の肖像 Conversation Piece / Gruppo di famiglia in un interno (1974年)