ルイーザ・メイ・オルコット
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ルイーザ・メイ・オルコット
Louisa May Alcott

誕生 (1832-11-29) 1832年11月29日
アメリカ合衆国
ペンシルベニア州フィラデルフィア市ジャーマンタウン(英語版)
死没 (1888-03-06) 1888年3月6日(55歳没)
アメリカ合衆国
マサチューセッツ州ボストン
職業小説家
国籍 アメリカ合衆国
最終学歴コンコードの町の学校(14歳の1年間のみ)[1]
ジャンル小説文学家庭小説少女小説児童文学、扇情小説)、脚本
主題自己否定の道徳、仕事の重要性、結婚における愛の不可欠さ、自己改革、社会改革(奴隷制廃止運動等)、自立した責任ある個人としての女性の展望[2][3]
代表作『若草物語
デビュー作『Flower Fables(花の妖精物語)』(小説)、「日光」(詩)
親族エイモス・ブロンソン・オルコット(父)、アビゲイル・メイ・オルコット(母)
署名
ウィキポータル 文学
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ルイーザ・メイ・オルコット(ルイザ[4]、オールコット[5]との表記もあり、: Louisa May Alcott [???lk?t, ???lk?t][6][7]1832年11月29日 - 1888年3月6日)は、アメリカ小説家家庭小説少女小説作家[8]として人気を誇り、高く評価され、『若草物語(Little Women)』(1868年)と第二部(1869年)、その続編(1871年、1886年)の著者として最もよく知られている[9] 。大人向けの短編小説、扇情小説(英語版)の作家でもある[10]。オルコットは、超絶主義者で教育者のエイモス・ブロンソン・オルコット(英語版)とソーシャルワーカー民生委員)のアビゲイル・メイ・オルコット(英語版)の娘であり、現在のペンシルベニア州フィラデルフィアの一部であるジャーマンタウン(英語版)に生まれた。一家は1844年ボストンへ移住し、そこで彼女の父は実験的な学校を設立した[11]

父は理想主義的な哲学の実践者・教育者であったが、家族に対して超然と接し、支配的であり、生活力がなく、経済的にも家庭を守っていたのは母だった[12][13]。父の理想の追求は妻と娘たちの様々な犠牲の上に成り立っており、一家は父の挑戦と挫折に従い、また生活苦から転居を繰り返し(30年間で22回)、オルコットは経済的にも精神的にも不安定な境遇で育った[14]。彼女は生涯、生活力皆無の父に代わって家族を支えるという強烈な決意と義務感を抱いており[14]、若い頃から家計のために働きながら、執筆の仕事を試み続け、1860年代に作家として成功を収めるようになった。彼女はキャリアの早い段階で、A・M・バーナードなどのペンネームを使用し、その名でスリラー短編や、情熱と復讐に焦点を当てた大衆向けの扇情小説を書いていた[15]。この事実は20世紀半ばまでほとんど知られていなかったが[16]、現在では「素朴で真実味のある」小説や、彼女自身が「スリリングな小説」という意味で「スリラー小説」、「血と雷の物語」と呼んだ「ぞっとするような」物語を執筆するといった多彩なスタイルを持つ小説家だったことが分かっている[17][18]。30冊以上の本、300篇を超える作品を残した[19][20]

1868年に発表された『若草物語』第一部は、南北戦争時代のアメリカ北部に暮らした4人姉妹、長女メグ、次女ジョー、三女ベス、四女エイミーの1年間を描いた物語で、マサチューセッツ州コンコードにあるオルコットと家族の家、オーチャード・ハウスを舞台にし、彼女の三人の姉妹、アンナ・オルコット・プラット(英語版)、エリザベス・スウォール・オルコット(英語版)とアビゲイル・メイ・オルコット・ニアーリカー(英語版)との子ども時代の経験に基づいている。第二部では、仕事や恋愛、結婚生活に奮闘する、若くして死去するベスを除く姉妹のその後を描いた。この小説は当時好評で、今でも子供から大人まで人気があり、150年以上にわたり非常に愛され続けている。舞台、映画、テレビに何度も上演され、映像化されている。

作家として成功したオルコットは一家の稼ぎ頭として家族を支え、『若草物語』の印税で家の借金を返し、両親の面倒をみ、夫を亡くした姉アンナの家族を支え、妹メイのヨーロッパ絵画留学の費用を捻出し、メイ亡き後は残された姪を引き取って育てた[17]

オルコットは「一生を父親への強い愛憎のなかで過ごしたといってもいいほどに父の存在が大きかった」と言われ[21]、伝記作家たちは、オルコットの進歩的な考えと独立心が、先進的な理想を持つ父ブロンソンによって育まれたと考え、彼女の珍しい成功は父の影響によると考えてきた[22]。近年では、母アッバの困難で献身的な結婚生活と自由への夢、母娘の関係性が、オルコットの知的・感情的世界の形成に大きな影響を与えたと注目されている[23]。一家は奴隷制廃止運動に関わり、母は女性の権利の活動家であり、娘たちに自活の大切さを教えた[24][25]。オルコットは奴隷制廃止論者、フェミニストであり、一生独身で通した。彼女は生涯を通じて、禁酒運動女性参政権などの改革運動に積極的に取り組んだ[26]


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