リーマンショック
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その後、株式相場は景気回復への期待から一旦上げに転じたが、2007年のアメリカ合衆国の住宅バブル崩壊をきっかけとして、サブプライム住宅ローン危機を始め、サブプライムローン、オークション・レート証券、カードローン関連債券など多分野にわたる資産価格の暴落が起こっていた。

2007年からの住宅市場の大幅な悪化と伴に、危機的状態となっていたファニー・メイやフレディ・マックなどの連邦住宅抵当公庫へは、政府支援機関における買取単価上限額の引上げや、投資上限額の撤廃など様々な手を尽くしていたものの、サブプライムローンなどの延滞率は更に上昇し、住宅差押え件数も増加を続けた。歯止めが効かないことを受け、2008年9月8日、アメリカ合衆国財務省が追加で約3兆ドルをつぎ込む救済政策が決定された。「大きすぎて潰せない (Too big to fail)」の最初の事例となる[4]
破綻

リーマン・ブラザーズも例外ではなく、多大な損失を抱えており、2008年9月15日(月曜日)に、リーマン・ブラザーズは連邦倒産法第11章の適用を連邦裁判所に申請するに至った[3]。この申請により、同社が発行している社債投資信託を保有している企業への影響、取引先への波及と連鎖などの恐れ、及びそれに対するアメリカ合衆国議会連邦政府の対策の遅れから、アメリカ合衆国の経済に対する不安が広がり、世界的な金融危機へと連鎖した。

リーマン・ブラザーズは、破綻の前日までアメリカ合衆国財務省連邦準備制度理事会(FRB)の仲介の下でHSBCホールディングス韓国産業銀行など、複数の金融機関と売却の交渉を行っていた[5]。日本のメガバンク数行も参加したが、後の報道であまりに巨額かつ不透明な損失が見込まれるため、買収を見送ったと言われている。2008年10月3日には、アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュが、金融システムに7,000億ドルの金銭支援を行う緊急経済安定化法案 (Troubled Asset Relief Program)に署名する[4]

最終的に残ったのはバンク・オブ・アメリカメリルリンチバークレイズであったが、アメリカ合衆国連邦政府が公的資金の注入を拒否[注釈 2]していたことから交渉は不調に終わった。

しかし交渉以前に、損失拡大に苦しんでいたメリルリンチはバンク・オブ・アメリカへの買収打診を内々に決定しており、バークレイズも巨額の損失を抱え、すでにリーマン・ブラザーズを買収する余力などどこにも存在していなかった。リーマン・ショックの経緯については、アンドリュー・ロス・ソーキン著の『リーマン・ショック・コンフィデンシャル』(原題: Too Big to Fail)に詳細に説明されている。

日本は長引く不景気から、サブプライムローン関連債権などにはあまり手を出していなかったため、金融会社では大和生命保険が倒産したり農林中央金庫が大幅な評価損を被ったものの、直接的な影響は当初は軽微であった。しかし、リーマン・ショックを境に世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込み、金融不安で各種通貨から急速なアメリカ合衆国ドルの下落により相対的に円高が進み、アメリカ合衆国の経済への依存が強い輸出産業から大きなダメージが広がり、結果的に日本経済の大幅な景気後退へも繋がっていった。日本の実質GDP成長率の推移日本の有効求人倍率。2009年には戦後最悪となった。



題材とした作品

映画

ガールフレンド・エクスペリエンス(2009年のアメリカ映画スティーヴン・ソダーバーグ監督作品

キャピタリズム?マネーは踊る?(2009年のアメリカ映画)マイケル・ムーア監督作品


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