リーアム・ニーソン
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リーアム・ニーソン(Liam Neeson, 1952年6月7日 - )は、北アイルランド出身の俳優
生い立ち

北アイルランドアントリム県出身。父親のバーナード・ニーソンはカトリック系の小学校の管理人、母親のキャサリン(旧姓ブラウン)は調理師[1]。4人兄弟の3番目[2]。9歳の時からボクシングをはじめる[3]。1971年にクイーンズ大学ベルファストに入学するが、演劇に興味を持ち中退[4]。ビール工場や助建築家、アマチュアのボクサーを経て、2年間ベルファストの劇団で演技を学ぶ。
キャリア

ダブリンアビー・シアターの一員になり、舞台俳優としてキャリアをスタートさせる。映画監督ジョン・ブアマンに見出されて、1981年に『エクスカリバー』で映画デビューを果たした。

1993年公開のスティーヴン・スピルバーグ監督映画『シンドラーのリスト』でオスカー・シンドラーを演じてアカデミー主演男優賞にノミネートされた。また、同年には『アンナ・クリスティ』でブロードウェイデビューを果たし、トニー賞にノミネートされる。1996年公開の『マイケル・コリンズ』でマイケル・コリンズを演じてヴェネツィア国際映画祭 男優賞を受賞。

1999年公開の『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』ではジェダイマスターのクワイ=ガン・ジンを演じた。

2010年には再びスピルバーグとタッグを組み、エイブラハム・リンカーンを演じることが決まっていたが、このプロジェクトは時間がかかり過ぎ、「58歳になった自分が56歳で死去したリンカーンを演じるのはふさわしくない」と降板を決意した[5]

2015年、スパイクテレビ主催のガイズ・チョイス・アワードで「ビゲスト・アス・キッカー(最もタフな男)」賞を受賞 [6]
私生活レイフ・ファインズ(右)と歓談するリーアム

1994年に『ネル』で共演したナターシャ・リチャードソンと結婚。1995年に長男(マイケル・リチャード・アントニオ)、1996年に次男(ダニエル・ジャック)が誕生。

1999年にそれまでの功績が称えられ、イギリス王室よりOBEが授与された。

2008年8月にテレビ番組『グッド・モーニング・アメリカ』にて、アメリカ合衆国の市民権を取得したことを明かした[7]。「いまでもアイリッシュとしての誇りを持ち続けているが、アメリカの市民権を獲得したことも、とても誇りに思っている。」と語っている。

妻のナターシャ・リチャードソンは、2009年3月16日にカナダモントリオールのスキー場でスキー中に転倒した。帰宅後、彼女は激しい頭痛を訴え、ニューヨーク市内の病院に入院した。その後、昏睡状態になり脳死状態になった[8]。2日後の18日、事故前の本人の希望に従い、人工呼吸器を含めた全ての生命維持装置が取り外され、彼女は45歳でニューヨーク市内の病院にて死去した[9]。おしどり夫婦として有名だったため突然の訃報に各国のメディアがこぞって報道し、葬儀の時、哀しみに打ちひしがれて義母ヴァネッサ・レッドグレイヴに支えられながら歩く様子が撮影された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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