リンゴの唄
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その後1965年に並木のソロ歌唱によるステレオ音源が録音され[21]、同年発売のLP『ステレオによる戦後20年歌のヒット・アルバム -「リンゴの唄」から「北国の街」まで-〈その一〉』(日本コロムビア ADX-26?7[21])や1966年発売のコンパクト盤『歌は世につれ-リンゴの唄-』(日本コロムビア ASS-200)などに収録された。この再録音版は後にシングルカットされ、1977年8月にも再発売された[19]。再録音盤は1984年の1年間に1830枚が売れた[19]

この曲の発表当時まだリンゴは貴重品であり、1945年12月10日放送の公開ラジオ番組(NHK『希望音楽会』)において並木がこの歌を歌いながら客席に降り、篭からリンゴを配ったところ、会場がリンゴの奪い合いで大騒ぎになったというエピソードもある[22]。その後並木がこの歌を歌う際には、リンゴ投げのパフォーマンスが定番になった[23]

JASRACの公式本によると、リンゴの唄により並木が家を建てたと舶来のウィスキーを持ってサトウのもとに礼を言いに来た際、サトウは俺達は犬小屋も建てられないとして開店休業中だった著作権管理団体を本格的に復活させようと仲間と共に運動を始めた。日本国において本作の著作権は、歌詞2043年12月31日、曲が2038年12月31日に消滅する(曲は旧法においては2018年末に消滅の予定であったが、2018年に法改正が行われ、消滅直前に20年延長となった最初の例の一つとなった)。
戦後と復興の象徴として

この曲はテレビ番組などの資料映像として終戦直後の焼け跡の空撮、闇市、買い出し列車などが流れる際、必ずと言っていいほどBGMに使われる“定番BGM”としても知られている。1982年学習研究社から発行された『証言の昭和史』6巻のタイトルは『焼跡に流れるリンゴの唄 占領下の日本』であった。

並木は阪神・淡路大震災1995年1月17日発生)の最大の被災地である神戸市長田区への慰問に訪れた際にも、避難所となった学校の校庭に設けられた仮設ステージでこの曲を歌唱しており、その模様を載せた当時の新聞紙面には「焼け跡に再び『リンゴの唄』が流れた」という見出しが躍った。さらに2011年東日本大震災では、復興を願いコミュニティFMに「りんごラジオ」と名付けられた。また、並木が死去した直後の2001年平成13年)4月モーニング娘。のメンバー(当時)・石川梨華が「今私たちがこうして歌えることの源流が並木さんの『リンゴの唄』であることを思うと、その先人の功績を忘れることなく歌い続けなければならない」という追悼談話を述べた。

1999年(平成11年)に青森県がりんごを通じた活動により県の経済・産業の発展に寄与した人物・団体を顕彰するために「青森りんご勲章」を設けると、第1回受賞者として「『リンゴの唄』を通じ戦後の国土復興に取り組んだ人々を元気づけた」功績により歌唱者としての並木が選ばれた[24]
「リンゴの唄」を題材としたドキュメンタリー

NHKでは『終戦秘話シリーズ -焼跡にリンゴの唄が流れた-』(1980年8月19日放送)や『その時歴史が動いた 響け 希望の歌声 -戦後初の流行歌「リンゴの唄」-』(2006年5月17日放送)をはじめ、これまでに「リンゴの唄」を題材としたドキュメンタリー番組をいくつか放送している。前者の放送当時には、作詞のサトウや作曲の万城目は既に故人となっていたが、並木、霧島昇、上原謙、佐々木康ら「リンゴの唄」に関わった人物の約半数が存命中だったため、彼らの貴重な証言を聞くことができる(なお本放送時、番組中に新宿西口バス放火事件NHKニュース速報が流れた)。また、後者は再現VTRを交えた構成で放送され、並木の生前の著書『リンゴの唄の昭和史』の一節を、リンゴの産地である長野県出身の乙葉が朗読している。なお両番組とも、NHKアーカイブスで公開されている。
シングル収録曲
1946年盤(SP盤、日本コロムビア A-59
[25]

リンゴの唄 - 3分7秒[25]

作詞:サトウハチロー、作曲:万城目正、編曲:仁木他喜雄、歌:霧島昇・並木路子、演奏:コロムビア・オーケストラ


そよかぜ - 2分37秒[25]

作詞:サトウハチロー、作曲・編曲:仁木他喜雄、歌:霧島昇・並木路子、演奏:コロムビア・オーケストラ

レコード表面には「リンゴの唄」「そよかぜ」共に「松竹映画『そよかぜ』主題歌」と記載されている[25]
1971年盤(EP盤、日本コロムビア D-34)、1977年盤(EP盤、日本コロムビア NK-33)

リンゴの唄(再録音)

作詞:サトウハチロー、作曲:万城目正、編曲:松尾健司、歌:並木路子、演奏:コロムビア・オーケストラ


森の水車

作詞:清水みのる、作曲:米山正夫、編曲:水谷真一、歌:並木路子、演奏:コロムビア・オーケストラ


1992年盤(カセットテープ、日本コロムビア COSA-410)

リンゴの唄

リンゴの唄(オリジナル・カラオケ)

東京のバスガール

作詞:丘灯至夫、作曲:上原げんと、歌:初代コロムビア・ローズ


東京のバスガール(オリジナル・カラオケ)

1995年盤(8cmCD、日本コロムビア CODA-640) - 「阪神大震災 復興応援歌」として発売

リンゴの唄

作詞:サトウハチロー、作曲:万城目正、編曲:石田勝範、歌:山野智子


リンゴの唄(オリジナル・カラオケ)

作曲:万城目正、編曲:石田勝範


リンゴの唄(再録音)

作詞:サトウハチロー、作曲:万城目正、編曲:松尾健司、歌:並木路子、演奏:コロムビア・オーケストラ


リンゴの唄(オリジナル・カラオケ)

作曲:万城目正、編曲:松尾健司


エピソード

1945年12月31日放送の
NHK紅白音楽試合』(『NHK紅白歌合戦』の前身)で並木が本楽曲を歌唱した[26]。後継の『NHK紅白歌合戦』には並木は生涯出場しておらず、また本楽曲も2005年放送の『第56回NHK紅白歌合戦』のコーナー「タイムスリップ60年 昭和・平成ALWAYS」のオープニングでBGMとして流れたのみで、他の歌手による歌唱を含めて2018年現在に至るまで一度も正式に歌唱されたことはない。

前述の永嶺による『洋楽放送記録』と『放送番組確定表』の調査結果によれば、1946年松田トシや豊島珠江、藤原亮子の歌唱、ミヤタ・ハーモニカ・バンドや東京マンドリン宮田楽団の演奏によりラジオで本楽曲が披露された記録がある[27]

平成元年(1989年)にNHKで放送された『心に残る昭和の歌ベスト200曲』では第9位にランクインした。

美空ひばりはプロデビュー前であった1946年(当時9歳)にNHK『素人のど自慢』に本楽曲で出場したが、「うまいが子供らしくない」「非教育的だ」「真っ赤なドレスもよくない」という理由で不合格になっている。

島倉千代子は7歳のときに事故によって左手首からひじまでを損傷し、気持ちが沈んだときに、母が本楽曲を歌って聞かせたことが歌手デビューのきっかけになっている。

藤圭子が1970年10月23日 渋谷公会堂に於ける「デビュー1周年記念リサイタル」にて戦後の昭和歌謡として歌唱。同1970年12月5日 3rdアルバム『歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う』収録。

2000年5月には、20世紀デザイン切手シリーズとして「リンゴの唄」の記念切手が発売された[28]

双子の100歳姉妹、きんさんぎんさんの愛唱歌も本曲であり、それが縁で平成初頭に放送のフジテレビ特別番組で並木路子との共演が実現し、3人で本曲を合唱した。

終戦直後に満州から引上げてきた日本人を迎える曲として使われた。

「リンゴの唄」使用映画

前述の『そよかぜ』のみならず、劇伴音楽も含めるとこの「リンゴの唄」は今日までの日本映画に多く使われた歌謡曲である。


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