リンカーン_(映画)
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また国際配給は20世紀フォックスが行う[7]

第85回アカデミー賞では作品賞を含む12部門でノミネートされ、主演男優賞アカデミー美術賞を受賞した[8]
ストーリー

アメリカ合衆国第16代大統領 エイブラハム・リンカーン ― 史上最も愛された大統領と言われ、常にユーモアを絶やさず、黒人を含めたすべての人々にオープンに接する人物だった。

1865年1月。大統領に再選され2ヶ月が経ったが、アメリカでは4年以上に及ぶ南北戦争が未だ続いていた。リンカーンは毎晩1人で船に乗り、どこかへ向かっているという不思議な夢を見るようになる。夢の話をされた妻メアリー・トッドは「船」は奴隷制廃止を盛り込んだ「アメリカ合衆国憲法修正第13条」であり、充分に支持されている大統領なのだから可決の見込みのない法案に執着することを止めるように忠告する。

1862年の奴隷解放宣言で奴隷は解放されたかに思えたが、戦時中の彼の政権の影響下にある北部の多くの州は宣言前に既に奴隷制が廃止されている上に、有事に際して北部に加盟した奴隷制継続州は宣言からは除外されており、敵勢力である奴隷制を維持している南部には宣言が通用する状況にないため、この宣言で実際に解放された者はわずかであり、さらにこの宣言は戦時の立法措置として戦争が終われば効力は失われることになる。「すべての人間は自由であるべき」と信じるリンカーンは奴隷を永久に解放するため、一度は上院を通過したものの、下院で否決された「アメリカ合衆国憲法修正第13条」を下院議会でも可決させることを決意する。

しかし、既に戦争は北軍優勢で終結へと進んでおり、リンカーンの所属する共和党でも「これ以上犠牲者を出さないために、1日も早く戦争を終わらせるべき」との意見が強くなっていた。北部でも多くの人々は奴隷制には反対していたり嫌悪感があっても、黒人と共に暮らしていくことには不安を持っているという状況があるので、戦争が終われば奴隷解放の気運が弱まることは確実となる。戦争の犠牲と人間としての尊厳のジレンマ、父母の反対を押し切って戦場に向かう長男ロバートや大統領就任後に三男ウィリーを失ったことで距離が生じているメアリー・トッドとの関係に苦悩しながら、終戦前の可決へ向かってウィリアム・スワード国務長官と協力して可決への工作を始める。

リンカーンはプレストン・ブレアに共和党保守派結束の条件とされた南部連合との和平交渉への伝手を彼に委ねて時間を稼ぎ、修正第13条では平等に関して不十分とする共和党奴隷解放急進派の領袖タデウス・スティーブンスを説得して党をまとめ上げ、可決に必要な3分の2以上の賛成票を確保するため奴隷制廃止反対の立場をとる北部民主党票の切り崩しを謀り、再選に伴う選挙で数ヶ月後には議席を失う民主党議員に対し、失職後の公職ポストを条件に賛成票に転じる説得を秘密裏に行うようにロビイストたちに指示する。だが、この動きは民主党にも伝わってしまい中々目標には届かない。さらに議員たちにも南部が和平提案をしているという噂が広がり、実際にアレキサンダー・スティーブンス南部連合副大統領率いる使節団と北軍司令官のユリシーズ・S.グラント将軍がバージニア州の連邦輸送船上で非公式な会談を行っていた。交渉は決裂したものの、グラント将軍から南部の使節団をワシントンに迎え入れるように提言されたリンカーンだが、使節団を船に乗せたままハンプトン・ローズまで移動して待機するように電信を送る。

タデウス・スティーブンスも法案担当者ジェームズ・アシュレイからの可決のための妥協の要請に対し、苦渋の想いでこれまでの節を曲げ、修正案は黒人との「人種の平等」でなく「法の前での平等」を目指したものであると議会で明言をし、ロビイストを通じたリンカーンの策を受け入れ自身の選挙区の議席確保優先の民主党議員を賛成票に取り込むことに成功する。スワードに表に出て行動しないように言われていたリンカーンだったが、ロビイストたちと対策を練り直し、賛成票に転じる可能性のある民主党議員たちに直接働きかける。特に奴隷制は嫌悪しているジョージ・イェーマン民主党議員の「平等になれば公民権をはじめとした白人と同じ権利を与えなければ人道的ではなく、そうなった社会が恐ろしい」というに二律背反な心理に対し、妻の黒人家政婦エリザベス・ケックリーから「自由が何をもたらすか判らない。でも自由になることが先で自由になるために闘ってきた」と聞いたこともあるリンカーンは 、奴隷解放後の平和は戦争より危機的かもしれないが、その都度問題に立ち向かって乗り越えていくしかないだろうと語る。

そして採決の日。民主党議員がワシントンに南部連合の停戦交渉使節団が来ているという情報を得たためとして採決の延期を要求するが、執務室で質問内容を聞いたリンカーンは「使節団がこの街にきていることは全く知らない」と一応は虚偽ではない回答をしたため、採決が開始される。議員ひとりひとりが名前を呼びあげられて賛否を口上する中、イェーマン議員が民主党でありながら「賛成」の声をあげる。民主党からの「裏切り者」という罵声と共和党の歓声で一時騒然とする議場だったが、その後に「棄権」や「賛成」を口にする民主党議員が続いていく。リンカーンの工作は成功し、修正案は規定票数を2票上回るという僅差で可決される。

リンカーンはハンプトン・ローズで使節団と会談し、南部連合は「国」ではないので停戦・和平のための条件交渉はする気はなく降伏しか受け入れないこと、南部連合諸州は合衆国構成州として回復再建していくことはできるが、合衆国憲法下の州として奴隷制は継続できないことを述べる。南部使節団は「偽善的」「北部の結束は『砲弾と死』」「戦争で多大な犠牲者を出した」と責め立てるが、リンカーンは「民主的プロセスを踏んだ」「世界に合衆国の民主主義は無秩序ではないと示せた」「次は流された血と犠牲に報いねばならない」と対応する。交渉は不調に終わり戦いは続くが、その数日後、グランド将軍はアポマトックス裁判所にてロバート・E・リー南部連合軍司令官からの降伏を受け入れ、南北戦争は終結する。

戦争は終わっても政務は忙しいものだったが、リンカーンとメアリー・トッドは気晴らしに観劇に向かう。同じ夜、リンカーンの四男タッドが両親と違う劇場で観劇中、いきなり劇が中断され、支配人が「大統領が撃たれました!フォード劇場で」と報せ、劇場内に悲鳴が満ちる。

リンカーンはピーターセンハウス(英語版)に運び込まれ、翌朝亡くなった。

エドウィン・スタントン陸軍長官は告げる。

「彼は歴史の人となった」
キャスト

※括弧内は日本語吹替。
リンカーン家

ダニエル・デイ=ルイス宮本充) - エイブラハム・リンカーン(第16代合衆国大統領)[9]


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