当時リュートはソロの楽器としても、また歌の伴奏や合奏でも広く使用されたと思われる。今日まで残るルネサンスリュートのオリジナル楽器の多くは16世紀頃に制作されたものであり、さまざまなコース数や大小のモデルを博物館などで見ることができる。このことから、この頃には宮廷や民衆の間でリュートは非常に人気の高い楽器であったことが推測される。この時代にはイタリア半島を中心に高い技術を持った工房がいくつも存在しており、これらの工房が製作した楽器は改造するなどして後年まで長く用いられたと言われる。
なお、イベリア半島ではリュートはあまり用いられず、ビウエラと呼ばれるギターによく似た形の楽器が主に使用されていたとされる。調弦は6コースのルネサンスリュートと同じであることから、ビウエラでリュートの作品を演奏すること、またその逆はつねに可能である。しかし、リュートとビウエラは楽器学上近親関係にある楽器とは見なされない。
末期ルネサンスから初期バロックカラヴァッジォ作 「リュート奏者」 ("Der Lautenspieler" - The Hermitage, St. Petersburg)
ルネサンス末期に、フィレンツェのメディチ家宮廷のカメラータでいわゆるモノディ様式が誕生し、それまでと違ったいわゆる「第二作法」が広まるにつれて、伴奏楽器としてのリュートに対する要請の変化から新たなタイプのリュートがつくられるようになった。フィレンツェのカメラータでは、古代ギリシアの音楽の復興をその目的として活動していたが、古代ギリシアのリラ(lyre)に相当する楽器としてキタローネ(テオルボ)がつくられた。これはバスリュートのような大きなボディーのリュートのネックに長い竿状の拡張ネックをとりつけ、そこに長い弦を付加したもので、バスリュートよりも低く強い低音を実現させている。このような超低音はモノディの劇的な感情表現の表出に効果的であった。キタローネ(テオルボ)は通常14コースあって、すべてのコースは単弦で張られる。低音拡張弦には指板がなく、つねに開放弦で用いられた。
同時期に、拡張弦を持つ似たような楽器としてアーチリュートやリュート・アティオルバートがつくられている。テオルボやアーチリュートにはさまざまな大きさのオリジナル楽器があるため、これらの種類の楽器の標準は存在していなかったと思われ、テオルボとアーチリュートの楽器としての区別はしばしば曖昧であり、これらは単に調弦の違いと理解することもできる。
後期ルネサンス以降リュートは和音を演奏できる楽器であり、テオルボやアーチリュートは低音を演奏できる楽器でもあったため、その後のバロック期にはあらゆる場面でチェンバロとともに通奏低音の楽器として用いられた。 バロック期にもリュートは独奏楽器としてよくもちいられた。17世紀のフランスでは、スティル・ブリゼ リュートはバロックの終焉とともに急速に衰退していく。その要因としては早く交代する和音への対応が困難であること、音量が小さいことなどが考えられる。その後リュートはハイドンの時代あたりまで生産され続けたが、やがて一般的な演奏用途からは完全に姿を消した。なお、ドイツではマンドーラと呼ばれる6コースの楽器が、リュートが全く廃れてしまった後も愛好された。そのあとドイツでは1850年ごろから1920年ごろにかけてマンドーラの子孫にあたるリュートギター(英語:en:lute guitar 復興 20世紀の初頭、リュートは歴史的な楽器への関心の高まりによって復活する。古楽器の復元で知られるアーノルド・ドルメッチは、リュートやビウエラの再現も試みた。また、イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギによるオーケストラのための組曲『リュートのための古風な舞曲とアリア』(Ancient Airs and Dances)によってリュートは広く一般に知られるようになったとも言われる。『リュートのための古風な舞曲とアリア』の多くの部分は、音楽学者オスカル・キレゾッティ (Oscar Chilesotti) が所有していた(が紛失してしまった)ルネサンス期のリュート音楽の原稿をもとにしている。 歴史的楽器復興の動きは20世紀後半の古楽復興によってさらに加速された。初期のリュート研究家・演奏家としては、ドイツのヴァルター・ゲルヴィヒ、ケルン音楽大学のミヒャエル・シェーファー、ロンドン王立音楽大学のダイアナ・プールトン、バーゼル・スコラ・カントルムのオイゲン・ミュラー=ドンボワ等が挙げられる。また、ジュリアン・ブリームなど、リュートの演奏を兼任するギター奏者も現れた。 今日では、ヨーロッパの多くの音楽大学がリュート科を設けており、録音や文献、楽譜も揃ってきた。また、アメリカや日本を含めた数多くの国で、リュートの協会が設立されている。日本人のリュート奏者も近年増えてきているため、国内でも、演奏会を聴きに行ったり、教室でリュートを習ったりすることができる。 オリジナルとコピー リュート復興初期には、ギター製造の技術で形状だけをリュートのようにした疑似的なモデルが作られていた。 博物館や個人の蒐集で残存する歴史的な楽器を研究することによって、当時のリュートがどのような楽器であるか知ることができる。これらの歴史的楽器をオリジナル楽器という。20世紀後半の古楽復興ではさまざまの楽器に対してオリジナル楽器の研究が進み、これをコピーすることで往年の音を復元しようとした。これらコピー楽器はオリジナル楽器に基づいて設計されたことを含意してヒストリカル楽器などと呼ばれる。今日では、さまざまの個人制作家が幅広いモデルに基づいたヒストリカルなリュートを製作しており、制作家に依頼することで誰にでも入手可能である。 なお、オリジナル楽器のほとんどは経年劣化で演奏不可能になってしまっているが、一部には演奏可能なものもあり、非常に貴重である。また、博物館に残されている楽器には、象牙や鼈甲をはめ込んで装飾したり、時にはボディー自体を象牙でつくったような過剰に贅沢なものがしばしば見受けられる。これらは装飾的価値のために保存されたと思われるが、それが今日のヒストリカル楽器の製作に役立っている。 現代に作曲された曲もわずかにあるが、レパートリーの大半は歴史的な写本や印刷物からのものである。多くの作品が古い楽譜の複製の形でリュート奏者の間に流通し、演奏されているが、歴史的な資料は膨大であり今日広く演奏されているのはほんの一部に過ぎない。伝統的なリュート音楽はほとんどがリュート用のタブラチュアで書かれている。 最も初期にはリュートは主にトルバドゥール(吟遊詩人)などが歌の伴奏として用いていたと思われている。前期ルネサンス時代には世俗の歌や宗教曲のメロディーを折り込んだ曲が即興的に演奏されていたと考えられているが、大部分は楽譜として残されていないため不明な点も多い。 引き続き歌の伴奏として用いられる一方、リュートのみのソロやデュオが発達した。1507年には、フランチェスコ・スピナチーノ スピナチーノの曲集の出版の翌年1508年にはホアン・アンブロジオ・ダルサ
バロック期
衰退期
現代
レパートリー
中世から初期ルネサンス
ルネサンス期
イギリスのリュート奏者ジョン・ダウランドは、リュート伴奏付きの独唱曲(リュートソング)とともに、リュートの特質を生かした多くの独奏曲を残したが、その多くはパヴァン、ガイヤルド、アルメインといった舞曲に基づいている。