リュコメーデースは預かった9歳のアキレウスに少女の衣服を着せ、王宮の後宮にあって彼を娘の王女たちのあいだに隠した。アキレウスはリュコメーデースの王女たちと共に少女として育ち、王宮ではピュラーと云う女性名で呼ばれた。また彼は、イッサ(Issa)、あるいはケルキュセラー(Kerkysera)と云う名で呼ばれたともされる[1] [5]。
しかしトロイア戦争においてギリシア軍は苦戦し、アキレウスの参戦が望まれた。オデュッセウスは、彼がリュコメーデースの王宮に乙女に扮して隠れていることをつきとめ、策を講じてアキレウスの正体を顕した。アキレウスは王女デーイダメイアと男女の関係になっており、一子ピュロスをもうけていたが、トロイア戦争に参戦した[2]。ピュロスは後にネオプトレモスと呼ばれるようになる[3] [4]。 アテーナイ王テーセウスは晩年に至ってなお、10歳のヘレネーを略奪したり、冥府におりて囚われるなど冒険を続けた。冥府からはヘーラクレースによって助けられ、再び地上に帰還できたが、不在のあいだにヘレネーの兄弟ディオスクーロイが妹を奪還せんとアテーナイに侵攻し、メネステウスを王位につけた[6]。 テーセウスは、メネステウス一派による、あるいは以前に殺害したパラースの息子たち一派による叛乱のため、アテーナイより遁れ、親族のリュコメーデースに庇護を求めた。リュコメーデースはこれを受け入れるが、テーセウスが自国の民や臣下の人気を獲得し、彼の王座を奪うことを畏れてテーセウスを害した。テーセウスに友誼を示しつつ、彼を誘って崖の頂きまで行き、そこよりテーセウスを突き落として殺したとされる[1] [3] [6]。アポロドーロスは、崖とは述べず、深い穴に突き落として殺害したと記している[7]。また別の説では、テーセウスは殺されたのではなく、食後の散歩の途中、誤って崖から落ちて死んだともされる[8]。
晩年のテーセウスを迎える
脚注^ a b c d Grimal, p.263。
^ a b アポロドーロス、巻三-8-8。
^ a b c 『ギリシア・ローマ神話辞典』、p.303。
^ a b 呉茂一『ギリシア神話』、p.256。
^ 『ギリシア・ローマ神話辞典』、p.52。
^ a b 『ギリシア・ローマ神話辞典』、p.162。
^ アポロドーロス、摘要-1-24。
^ 呉茂一『ギリシア神話』、p.303。
参考文献
アポロドーロス 『ギリシア神話』 高津春繁訳、岩波文庫 1953年、1982年改版36刷
呉茂一 『ギリシア神話』 新潮社 1969年、1986年33刷
高津春繁編著 『ギリシア・ローマ神話辞典』 岩波書店、1960年、2007年27刷
Pierre Grimal The Dictionary of Classical Mythology Blackwell Publishing, 1986, ISBN 978-0-631-20102-1
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