リュイス・クンパニィス
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暴動鎮圧にスペイン軍がバルセロナへ入り、ドミンゴ・バテト将軍によって彼は逮捕され、30年の禁固刑を宣告された[4]。判決後、彼は直ちにエル・プエルト・デ・サンタ・マリーア刑務所へ送られた。しかし、1936年総選挙でスペイン人民戦線との左翼連立が勝利したことで、新政権によって彼は釈放された。

その直後の1936年7月にスペイン内戦が勃発し、クンパニィスは反フランコの共和国側についた。この選択は、反ファシスト民兵中央委員会との間の共闘を組織する上で助けとなった。民兵中央委員会には、彼のカタルーニャ主義政権、反スターリン主義左翼共産党の義勇軍であるマルクス主義統一労働者党(en:POUM)、アナルコサンディカリスムの労働組合である全国労働連合(en、略称CNT)が後援を行った[5]

戦争中、クンパニィスは自身の政治連合体の結束を維持しようとしたが、ソビエト連邦領事ウラジーミル・アントーノフ=オフセーエンコ(en)が、そうすればソビエトはカタルーニャへの援助を停止するだろうと脅した。クンパニィスは、1936年12月に司法大臣であったアンドレウ・ニンを更迭した(モスクワと関係を持たないスペインの元共産主義者を、政権から一掃する動きのためであった)。共産主義・社会主義グループであるカタルーニャ統一社会党(en)と、無政府主義を掲げる国家労働連合(POUMが支援していた)との間の緊張が高まり、非常に厳しい情勢であった。

1939年2月5日、フランコ軍がバルセロナを占領すると、クンパニィスはフランス、ペルピニャンへ亡命した。その後彼はパリへ移り、亡命したジャナラリターの代表として活動した。クンパニィスのフランス滞在は、ラ=ボール=レ=パン(ロワール=アトランティック県のコミューン)で終わりを告げた。彼は重い精神疾患を患う息子リュイスとの接触を断たなかったのである。息子は最初の妻マルセーとの間の子で、クンパニィスはカルマ・バジェステーと出会ってからマルセーと離婚し、カルマと再婚している。彼はナチス当局によって逮捕され、1940年9月にスペイン当局へ身柄を引き渡された[6]。法的保証を欠いた軍事裁判の後、直ちにクンパニィスはムンジュイック城で1940年10月15日、午前7時30分に処刑された[7]。彼は目隠しされるのを断り、無実の人間を殺せ。カタルーニャのために!我々は苛まれても、再び打ち勝つのだ!(Assessineu un home honrat. Per Catalunya! Tornarem a sofrir, tornarem a vencer!)と死ぬ前に言った[8]。彼の遺体は、城近くの南西墓地に埋葬された。

クンパニィスの名を冠した通り、広場がカタルーニャの多くの主要都市や小さな町にある。ムンジュイックの丘にある、バルセロナオリンピックの会場となったエスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニスは、彼を記念して命名された。1998年、バルセロナ、リュイス・クンパニィス遊歩道(en)の凱旋門近くに、クンパニィスの記念碑が設置された。

毎年10月15日の明け方、ERCの多くの地方支部で、クンパニィスを記念する花火があげられ、多くの街で献花される。
参照^ 八嶋由香利著 著「47章 第二共和政からスペイン内戦へ」、立石博高・奥野良知編著 編『カタルーニャを知るための50章』明石書店、2013年、298頁。  ⇒ForvoでのLluis Companysの発音例
^http://www.victoralexandre.cat/index.php?option=com_content&task=view&id=783&Itemid=63
^ Preston, Paul. The Spanish Civil War. Reaction, revolution & revenge. Harper Perennial. London. 2006. p.78
^ Beevor, Antony. The battle for Spain. The Spanish Civil War 1936-1939. Penguin Books. 2006. London. p.30
^ Preston, Paul. The Spanish Civil War. Reaction, revolution & revenge. Harper Perennial. London. 2006. pp.253-254
^ Julia, Santos; Casanova, Julian; Sole i Sabate, Josep Maria; Villarroya; Moreno, Francisco. Victimas de la guerra civil. Ediciones Temas de Hoy. 1999. Madrid. p.331
^ Burns, Jimmy (2000). Barca: a people's passion. Bloomsbury. p. 126 
^ (Companys, proces a Catalunya 1979)

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