リバタリア
[Wikipedia|▼Menu]
ジョンソンによればミッソンは自分の人生をフランス語の手記に書き記していたという[31]。手記は生き残ったミッソンの部下が持っていたが、最終的にはジョンソンの手に渡って海賊史のミッソンに関する記述の情報源になった[32]
背景

リバタリアが生まれた18世紀大西洋の船乗りは劣悪な環境に置かれていた。

商船では低賃金で食べ物もなく、病気や事故にあって早死にすることも多い上に、暴力を振るわれることも日常茶飯事だった[33]。対して海賊船では、船長の権限は抑制され、財宝も平等に分けられるなど、民主的な運営がなされていたことから、船乗りや海軍から海賊に転身する者も多かった[34]。ジョンソンはこのような労働者たちの現実と夢を観察して、リバタリアというフィクションにしっかりと反映させている[35]

ガブリエル・クーンはミッソンが民主主義者で奴隷制や死刑の廃止などを訴えていたことについて「時代背景を考えると驚嘆に値する」と評価している[36]

歴史家で活動家のマーカス・レディカー(英語版)は、リバタリアの海賊について下記のように説明している。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}These pirates who settled in Libertalia would be vigilant Guardians of the People's Rights and Liberties; they would stand as Barriers against the Rich and Powerful of their day. By waging war on behalf of the Oppressed against the Oppressors, they would see that Justice was equally distributed.[37]

リバタリアに住み着いた海賊たちは、「民衆の権利と自由を油断怠りなく守る者たち」となろうとし、彼らは、当時の「金持ちや権力者の行く手をさえぎる者」となるだろう。「虐げられた者」のために、「虐げる者たち」にたいして戦いを挑み、「正義が平等に分配される」ように計らうであろう。[38]

リバタリアはジョンソンが理想的だが実現するのは難しいと考えた民主主義などをフィクションという形で表現したものであると考える研究者もいる[39]。また、レディカーは身分の違いや労働が存在しない逸楽の国(英語版)の言い伝えが古くから存在すること、古の船乗りは選挙や委員会などの民主的な制度を作り出していたことなどを挙げて、リバタリアへの影響を指摘している[40]

増田義郎はリバタリアが設立された18世紀はアメリカ独立戦争フランス革命が起こった時代であり、自由を追い求める思想が実際に存在していても不思議ではないとする[41]
位置.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} リバタリアが存在したとされるアンツィラナナ湾 (ディエゴ・スアレス湾) の地図。

リバタリアはマダガスカル北部のアンツィラナナ湾(英語版)に設立されたと伝えられている[39]。しかし、現代の研究者たちは、リバタリアは実在した場所ではなく、フィクションの存在であったと考えている[42]

そもそも、アンツィラナナ湾は地理上の制約から食料の安定供給が難しく、実際に海賊が入植することはなかったことが明らかになっている[39]

ジャーナリストのKevin Rushbyは、海賊の子孫を見つけ出すためにこの一帯を探し回ったが、出会すことはできず、「他の人もチャレンジしては失敗している」と指摘した[43]

リバタリアの伝説に限らずマダガスカル島とその周辺には実際に海賊の入植地が存在した。フォール・ドーファンのアブラハム・サミュエル(英語版)、セント・マリー島アダム・ボールドリッジランター湾のジェームズ・プランティン(英語版)、これらは皆元海賊で、交易所や町を設立していた。

これらの場所は、その時代の公式文書や手紙に頻繁に登場するが、リバタリアは海賊史の第2巻だけにしか記載がない[44]。歴史家のクリストファー・ヒルはリバタリアはランター湾にあったのではないかと指摘している[45]

ジョンソンは、リバタリアについて詳述している。リバタリアの港は左右にある砦で守られており、各砦にはポルトガル船から略奪した40門の砲が設置されていた[46]。港を入って約半マイルの位置にはドックがある[47]。街には木造の議事堂があり、国会が開かれていた[48]。リバタリアは、最寄りの町から東南東に約13マイル離れた場所に位置していた[17]
批判

ジョンソンによる『リバタリア』は、完全なフィクション[49]、作り話(apocryphal)[50]として扱われてきた。

1932年、海賊研究家のフィリップ・ゴスはミッソンの実在を確かめる証拠は一切発見されてないと書いている[51]。Benerson Littleはキッド船長のブレスト・ウィリアム号で反乱を起こしたWilliam Massonという海賊がミッソンのモデルになった可能性を指摘している[39]

また、トマス・テューが実際にマダガスカルを訪れた時期とリバタリアやミッソンが存在したとされる時期には10年のズレがある[39]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:52 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef