リドリー・スコット
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作品賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)
1999年ザ・ディレクター [市民ケーン]の真実
2002年『チャーチル/大英帝国の嵐』
その他の賞
ハリウッド名声の歩道
映画産業への貢献、映画・演劇業界への業績に対して

備考
大英帝国勲章
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サー・リドリー・スコット(Sir Ridley Scott, 1937年11月30日 - )は、イギリス映画監督映画プロデューサー

主にアメリカで活動している。映画監督のトニー・スコットは弟、同じく映画監督のジョーダン・スコット(英語版)は長女、映像監督のジェイク・スコットは長男、映画監督のルーク・スコット(英語版)は次男。
経歴

3人兄弟の次男として生まれる。ウエスト・ハートブール美術大学でグラフィックデザインや絵画、舞台美術を学び、その後、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートに進学し、グラフィック・デザインを専攻する。卒業後、BBCにセット・デザイナーとして入社。やがてドキュメンタリーやテレビドラマの演出をするようになるが、テレビディレクターに限界を感じ、退社した後、CFの制作会社を設立。数多くのCFを制作し、各国の国際映画祭で数々の賞を受賞。手がけたCFの本数は1900本以上にのぼる。

1977年に発表したデビュー作『デュエリスト/決闘者』でカンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞。1979年公開の監督作『エイリアン』の世界的大ヒット以降は、活動の拠点を米国に移す。

フィリップ・K・ディックSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を映画化した1982年公開の『ブレードランナー』では難解で暗い内容のために公開当初は評価が分かれたものの、映像化は困難とされていた原作を卓越した手腕で描き、数多くのファンを獲得することに成功する。

1989年の日本を舞台とした刑事ドラマ『ブラック・レイン』では、アメリカからはマイケル・ダグラスアンディ・ガルシア、日本からは高倉健松田優作(本作が遺作となった)といった日米の豪華共演が話題を呼び、アメリカのみならず日本でも大ヒットを記録した。

1991年に公開されたロード・ムービーテルマ&ルイーズ』では自身初のアカデミー監督賞候補となる。

1995年、リドリーと弟のトニーは、映画への貢献に対してBAFTAを受賞した[1]

1998年、イギリスのサンダーランド大学・人文学の名誉博士、2015年にロイヤル・カレッジ・オブ・アートから名誉博士号を授与される[2]

2001年、1億ドルを超える制作費と破格の宣伝費を費やした大作『グラディエーター』が第73回アカデミー賞作品賞ならびに第58回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞を受賞(自身の監督賞受賞は逃した)。興行的にも世界的大ヒットを記録し、名実ともに不動の地位を確立した。翌年にはソマリア内戦への米軍介入を描いた『ブラックホークダウン』と、『羊たちの沈黙』の続編である『ハンニバル』が公開され、興行的に成功を収める。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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