第一次世界大戦後の1918年、リトアニア共和国としてロシア帝国より独立。1940年にソビエト連邦から、翌1941年の独ソ戦勃発でナチス・ドイツからも侵略された。その後、ソ連に再占領されてソ連の構成共和国の一つとなったが、ソ連崩壊に伴い1990年に独立を回復し、以後、親欧米路線を歩んでいる。 リトアニア語における正式名称は、Lietuvos Respublika([l???t??vo?s r??s?p?bl??k?] リエトゥヴォース・レスプブリカ) 。通称Lietuva([l???t??v?] リエトゥヴァ)、略称はLR 。 日本語の表記は「リトアニア共和国」で、通称「リトアニア」[11][12]。一部「リトワニア」「リスアニア」と書かれたこともある[13]。「リトアニヤ」[14]、「リツアニア」[15]という表記も見られる。古くは里都亜尼亜[16]、 礼勿泥亜[17][18]、 里荅烏文[16]といった漢字表記が用いられた事もあった。 ソ連時代の国名は「リトアニア・ソビエト社会主義共和国」(ソビエト・リトアニア)であった。
国名
由来1009年の年代記に登場するリトアニアの国名詳細は「リトアニアの国名
1009年3月9日付(正しくは2月14日であったとみられる)の年代記においてLituaeと記されたのが、歴史上リトアニアの国名が登場する最初の例である[19]。これはラテン語による表記で、文法上は属格での表記であり、この主格はLituaとなる[20]。当時 [v] の発音は "u" で表記されていたが、この「リトヴァ」という呼び方は現在でもポーランド語をはじめとするスラヴ諸語において用いられている(LitwaまたはLitvaと表記)[20]。
「共和国」に相当する"Respublika"(レスプブリカ)は、「公共のもの」を意味するラテン語の"res publica"(レス・プブリカ)に由来する。"res"(レス)は「物」や「財産」、"publica"(プブリカ)は「公共の」という意味である。 リトアニアの歴史
歴史
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先史時代
バルト人
リトアニア王国 (1251年-1263年)
リトアニア大公国
ポーランド・リトアニア共和国
ロシア帝国
(北西地域:ヴィリナ県・コヴノ県)