リトアニア
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この戦いは中世ヨーロッパで最も大きな戦いの一つであり、リトアニアでは「ジャルギリスの戦い」として知られる[25][26]

このとき、リトアニア大公国軍は40部隊からなっていた。そのうち原リトアニアから来たリトアニア人部隊はたったの4つで、28部隊は現在のベラルーシから、8部隊がウクライナから参加していたスラヴ人部隊であった。このことからも、リトアニア大公国の実態がスラヴ人、特に東スラヴ人が主導的な国家であったことがうかがい知れる(一方で当時のポーランドは西スラヴ人の国家であった)。

ヨガイラとヴィータウタスの死後、リトアニアの貴族はポーランドとの合同を解消し、独自にリトアニア大公を選出しようとした。しかし15世紀末にモスクワ大公国が力をつけてリトアニアにとって脅威となり、さらにモスクワ・リトアニア戦争(英語版)およびリヴォニア戦争が起きる中で、リトアニアはポーランドとの関係を強化せざるを得なかった。

こうして1569年、ポーランド王国との間にルブリン合同が成立し、ポーランド・リトアニア共和国(ジェチポスポリタ)が誕生した。共和国内にあってもリトアニアは独自に軍隊や通貨、法令などを有していた[27]。しかし最終的にはリトアニアの政治、言語、文化など、すべての面においてポーランド化が進んだ。16世紀半ばから17世紀半ばにおいては、ルネサンスおよび宗教改革の影響から文化、芸術、教育が栄えた。1573年以降、ポーランド王兼リトアニア大公は貴族による自由選挙で選ばれるようになる。シュラフタたちは「黄金の自由」と呼ばれる政治的諸特権を享受し、当初はこれがいい方向に機能していた。しかし、この制度には自由拒否権に代表される欠陥があった。自由拒否権の廃止といった制度改革が、リトアニアのラジヴィウ家といった一部の裕福で野心的なシュラフタ(騎士階級)の反対によって遅れたことでのちに国家が無政府状態に陥り、最終的に周辺諸国によって分割・解体される要因となった。

1655年から1661年北方戦争において、リトアニアの領土や経済はスウェーデン軍によって破壊された。復興前に大北方戦争1700年 - 1721年)が勃発し、リトアニアは再び荒廃した。戦争、疫病、飢餓によって人口の約4割を失うこととなった[28]。周辺諸国、とりわけロシアのリトアニア国内における影響力は増大していった。リトアニア貴族の諸派閥が拒否権を発動し続けたことにより、改革は全て妨げられた。結局、ロシア帝国、プロイセン王国オーストリア大公国ハプスブルク君主国)の3か国によって1772年第1次ポーランド・リトアニア分割が行われ、その後1792年第2次1795年第3次分割が行われた。これによりポーランド・リトアニア共和国は解体された。

現在のリトアニアの領土の大半は、この分割によりロシア帝国領となった。1831年11月蜂起1863年1月蜂起はいずれも失敗に終わり、ツァーリはその後ロシア化政策を強化、リトアニア語による出版物の発行が禁じられ、文化施設や教育機関が閉鎖を余儀なくされた。リトアニア地域はロシア帝国内では北西地方(クライ)と呼ばれる地方に属することとなった。

1877年露土戦争の後、ロシア帝国とドイツ帝国の関係が悪化するのに伴い、1879年7月7日ロシア皇帝アレクサンドル2世は、ドイツとの戦いに備えるためにカウナス郊外に要塞を建設することを承認した。

この時代、1868年から1914年までの間に、約63万5,000人、人口のおよそ20%がリトアニアを離れた。その多くは、1867年から1868年に起きた飢饉をきっかけにアメリカ合衆国へと移住した[29]
リトアニア共和国として独立[ソースを編集]リトアニア独立宣言(1918年2月16日)に署名したリトアニア評議会(タリーバ)のメンバー20名

第一次世界大戦が起きると、リトアニアは東部戦線の戦場となった。1918年2月16日ロシア革命の余波が及ぶ中でリトアニア評議会(英語版)(タリーバ)はリトアニアの独立を宣言した(リトアニア独立宣言)。当初はリトアニア王国として独立したが、これはドイツ帝国の計画したミッテル・オイローパ構想(汎ヨーロッパ主義)の一環であった。その後、1918年11月11日に第一次世界大戦でドイツ帝国が敗北して崩壊すると、リトアニア第一共和国となった。

その後のリトアニアは、ポーランドおよびドイツとの領土問題を抱えることとなる。1920年、ジェリコフスキ将軍率いるポーランド軍はヴィリニュス地域を侵攻、その後この地域にはリトアニア共和国とは別に中部リトアニア共和国が建国された。


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