リチャード3世_(イングランド王)
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「1485年8月22日にボズワースにて殺害されたイングランドの王、リチャード3世」と刻まれている。発掘されたリチャード3世の遺骨(2012年)

リチャード3世はウィリアム・シェイクスピアによって、ヨーク朝に変わって新たに興ったテューダー朝の敵役として稀代の奸物に描かれ、その人物像が後世に広く伝わった。

一方で、リチャード3世の悪名はテューダー朝によって着せられたものであるとして、汚名を雪ぎ「名誉回復」を図ろうとする「リカーディアン (Ricardian) 」と呼ばれる歴史愛好家たちもおり、欧米には彼らの交流団体も存在する。リチャード3世を兄(エドワード4世)思いで甥殺しなどしない正義感の強い人物として描くベストセラー小説も、ジョセフィン・テイ時の娘』(1951年)をはじめとして数多くある。1980年代以降には以下のような作品がある。

ジーン・プレイディー "The Sun in Splendour" (1982年)、"The Reluctant Queen" (『リチャード三世を愛した女』 1990年)

Sharon Kay Penman "The Sunne in Splendour" (1982年)

Sandra Worth "The Rose of York" シリーズ (2003年 - 2007年)

ただし、デヴィッド・スターキー(英語版)のように著名な歴史家が「甥殺しのあの悪人」と書くなど、評価はいまだ分かれている。2002年、BBCが発表した「100名の最も偉大な英国人」では82位に選出された。
遺体詳細は「リチャード3世の発掘と再埋葬」を参照2015年に改葬されたリチャード3世の墓。ヨーク家の紋章と「リチャード3世」の名、「忠誠が我を縛る」のモットーが刻まれている。また白い猪の幟が飾られている。

リチャード3世の遺体の埋葬場所については長らく不明であり、レスターを流れるソアー川に遺骨が棄てられたという通説も信じられていたが、2012年9月5日、フィリッパ・ラングリーらのチームによって、古い時代の遺骨が記録された埋葬場所と一致する、レスター市中心部の駐車場の下から発見された[2][3]。この発見に「530年ぶりに駐車場の下から悪名高い王の遺体が見つかる」と大きく報じられた。遺骨は頭蓋骨に戦闘で受けたとみられる複数の傷があり、また脊柱に強い脊椎側彎症が確認され、従来悪評を補強するための偏見とも考えられていたリチャード3世のせむしが事実であった可能性が高いことを示した。遺骨発見に大きく貢献した歴史家のジョン・アッシュダウン・ヒル博士によって探し出されたリチャード3世の姉アン・オブ・ヨーク(en, 1439年 - 1476年)の女系子孫(カナダ人マイケル・イブセン)のミトコンドリアDNA鑑定レスター大学が行い、2013年2月に遺骨をリチャード3世のものと断定した[4]

また、同チームは遺骨からDNAを採取し、ゲノム解析のうえ髪や瞳の色などの容姿の特定、ならびに健康状態の調査をする方針を2014年9月に発表している[5]

その後、遺骨を法医学的に分析し、ボズワースの戦いでは11か所の傷を負っていたことが明らかになった。そのうち9か所は兜によって防護されていなかった頭部にあり、頭蓋骨にはのこぎりのような武器で削いだ傷や、骨を貫き脳にまで達した刺し傷もあった。致命傷になったとみられる2か所の傷は、脳内に数センチメートルから10センチメートル程度入り込む頭蓋骨への刺し傷であり、これよって一瞬にして意識を失い、その後心肺が停止したと考えられる[6][7][8]

リチャード3世のY染色体DNAが、曾祖父の兄であるジョン・オブ・ゴーントから続く同家系の男系の5人の子孫が共通に持つY染色体DNAと一致しなかったことから、ある時点で5人の共通祖先あるいはリチャード3世の祖先(リチャード3世自身を含む)には、公式の家系図に書かれていない父親を持つ男子がいたことが判明した。その結果、ランカスター朝ヘンリー4世ヘンリー5世ヘンリー6世と、ヘンリー7世から始まりヘンリー8世とその3人の子に至るまでのテューダー朝全体に、嫡出に関する疑念が生まれている[9]

その他、リチャード3世が96%の確率で青い目の、77%の確率で金髪の持ち主だったとの結果が出ている[9]

2015年3月26日、調査が終了した遺骨はレスター大聖堂(英語版)に再埋葬された[10]。遺体はコーンウォール産のの木の棺に納められ、霊柩馬車に牽かれ、ヨーク家の象徴である白薔薇を持つ市民たちが沿道で見守る中、市内を回り、レスター大聖堂に「国王の礼をもって」改葬された。その際、カンタベリー大主教ジャスティン・ウェルビーウェセックス伯爵夫人ソフィーグロスター公爵リチャード王子(即位前のリチャード3世と同名同号である)、同公爵夫人バージッドが臨席し、桂冠詩人デイム・キャロル・アン・デュフィー(英語版)による詩が俳優のベネディクト・カンバーバッチ(遺体のDNA分析で血縁者と判明)の朗読によって捧げられ、リオネル・パワーによる「詩編」を基に作曲した音楽が演奏された。


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