作品の舞台は、薔薇戦争の渦中にある15世紀のイングランド。ランカスター家との争いに勝利した、ヨーク家のエドワード四世が王位に上ったが、すでに病の床にあった。エドワード四世の弟であるグロスター公リチャードは、生まれながらの不具をもバネにし、王座を自らのものにしようと企む。巧みな話術と策略でもって、リチャードよりも王位継承順位の高い兄クラレンスや政敵を次々と亡き者にし、さらにリチャードによって殺害されたかつての王太子エドワードの妻アンを籠絡する。エドワード四世の息子で王子のエドワードは存命していたが、リチャードは、エドワードが私生児であり王家の血筋を引いていないという事実を作り出す。その代わりとしてリチャード自らが王位に就くことの正統性を市民からの称賛に委ねる。そして、見事にリチャードは王位に就く。
だがその栄光もつかの間、自分よりも王位継承順位の高い王子やヨークが生きていることに不安を覚え、暗殺者ティレルを派遣し、暗殺する。ランカスター家のリッチモンド伯ヘンリー・テューダー(後のヘンリー七世)が兵を挙げたのを契機に次第に味方は離れていく。リチャードは王位獲得の過程において排除してきた者たちに良心の呵責を感じ始め、遂には夢の中に彼らが現れ、リチャードに呪いの言を吐く。そして、ついにはボズワースの戦いで討たれる。死の間際のリチャードの台詞「馬を! 馬をよこせ! 代わりに我が王国をくれてやる!」 (英: A horse! a horse! my kingdom for a horse!)はシェイクスピアの作品中もっとも有名なもののひとつである。 『リチャード三世』の前作にあたる『ヘンリー六世』三部作を含むバラ戦争期の歴史について、シェイクスピアはラファエル・ホリンシェッドの『年代記』やエドワード・ホールの『ランカスター、ヨーク両名家の統一』を参考にした[1][2]。両作品を基に劇を製作したのだが、その中でもシェイクスピアはホールの歴史書を主たる材源として利用し、ホリンシェッドの記述は詳細を補うべく使われた[3]。ホリンシェッドとホールがイングランド史の中で描写するリチャード3世の人物像は、トマス・モアによる未完の『リチャード三世史』から強い影響が大きい。さらに、これら16世紀の英国歴史家たちは、「イングランド史の父」と目されるポリドール・ヴァージルのAnglia Historia から多くの要素を継承している[4]。 ラファエル・ホリンシェッドの『年代記』やエドワード・ホールの『ランカスター、ヨーク両名家の統一』が年代記的な要素が強い一方、トマス・モアの『リチャード三世史』はリチャード3世の性格を中心に描いている[5]。シェイクスピアの『リチャード三世』における極悪な暴君としてのリチャード3世像は本作の記述に拠るところが大きい。
構成
第1幕
第1場 - ロンドン、街路
第2場 - ロンドン、別の街路
第3場 - ロンドン、王宮
第4場 - ロンドン塔内
第2幕
第1場 - ロンドン、王宮
第2場 - 王宮の一室
第3場 - ロンドン、街路
第4場 - ロンドン、宮殿
第3幕
第1場 - ロンドン、街路
第2場 - ヘイスティングズ卿の邸の前
第3場 - ポンフレット城
第4場 - ロンドン塔
第5場 - ロンドン塔の城壁
第6場 - ロンドン、街路
第7場 - ベイナード城
第4幕
第1場 - ロンドン塔の前
第2場 - ロンドン、宮殿
第3場 - 前場に同じ
第4場 - ロンドン、宮殿の前
第5場 - スタンリー卿の邸
第5幕
第1場 - ソールズベリー、広場
第2場 - タムワース近くの陣営
第3場 - ボズワースの平原
第4場 - 戦場の他の場所
第5場 - 戦場の別の場所
材源
後日談
本作によってリチャード三世は醜い極悪人、というイメージが後世に伝えられたと言われているが、シェイクスピアが描いたように実際のリチャード三世がせむしであったかどうかは長い間の争点だった。2012年に発掘されたリチャード三世の遺骨に脊柱後湾症(脊椎側彎症の一種)の痕跡が見られたことから、シェイクスピアの記述があながち誇張ではなかったことが証明される形になった[6]。
映画化作品
リチャード三世(1912年)- Andre Calmettes