『リチャード三世』の前作にあたる『ヘンリー六世』三部作を含むバラ戦争期の歴史について、シェイクスピアはラファエル・ホリンシェッドの『年代記』やエドワード・ホールの『ランカスター、ヨーク両名家の統一』を参考にした[1][2]。両作品を基に劇を製作したのだが、その中でもシェイクスピアはホールの歴史書を主たる材源として利用し、ホリンシェッドの記述は詳細を補うべく使われた[3]。ホリンシェッドとホールがイングランド史の中で描写するリチャード3世の人物像は、トマス・モアによる未完の『リチャード三世史』から強い影響が大きい。さらに、これら16世紀の英国歴史家たちは、「イングランド史の父」と目されるポリドール・ヴァージルのAnglia Historia から多くの要素を継承している[4]。
ラファエル・ホリンシェッドの『年代記』やエドワード・ホールの『ランカスター、ヨーク両名家の統一』が年代記的な要素が強い一方、トマス・モアの『リチャード三世史』はリチャード3世の性格を中心に描いている[5]。シェイクスピアの『リチャード三世』における極悪な暴君としてのリチャード3世像は本作の記述に拠るところが大きい。
後日談
本作によってリチャード三世は醜い極悪人、というイメージが後世に伝えられたと言われているが、シェイクスピアが描いたように実際のリチャード三世がせむしであったかどうかは長い間の争点だった。2012年に発掘されたリチャード三世の遺骨に脊柱後湾症(脊椎側彎症の一種)の痕跡が見られたことから、シェイクスピアの記述があながち誇張ではなかったことが証明される形になった[6]。
映画化作品
リチャード三世(1912年)- Andre Calmettes