リチャード・メンター・ジョンソン
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ジョンソンの父親は測量士であり、精選された土地を購入し、適度の財産を築き上げた[8]

ジョンソンの伝記では、彼が公的な教育を初めて受けたのは15歳になってからだと記されている。そして、その後まもなくレキシントンのトランシルヴァニア大学に入学した。彼が通学したという記録は現在存在しないが、1802年以前の記録は不完全である[9]1799年までに彼はジョージ・ニコラスとジェームズ・ブラウンから法律を学んだ。1802年にはケンタッキー州で法曹界入りし、グレート・クロッシングで事務所を開業した[3]。その後彼は兄弟と共に、小売店を経営し、多くの投機的事業を手がけ、富裕層に対して訴訟を行った[10]。ジョンソンはプロボノを行い、貧民のためにしばしば働いた。また、彼は軍務で障害者になった人々や未亡人、戦災孤児に家を公開した[2]
ジュリア・チンとの関係

ジョンソンには結婚を約束した女性がいたが、家風に合わない、家族にふさわしくないとして母親が結婚に反対し、破談になった経緯がある[2]。ジョンソンは母親の干渉に対して復讐を誓い、父親が死去すると、受け継いだ元奴隷であるジュリア・チンと内縁関係を持った[11]。チンは色白のオクトルーン(黒人の血が1/8)であった。にもかかわらず、彼女は法的には黒人であり、そのことがジョンソンとの結婚を妨げた[12]。ジョンソンは公的地位にいる間、チンを内妻として扱った[12]。ジョンソンはケンタッキーの自宅から離れている間、チンに彼の商務における行動の自由を与えた[2]

ジュリア・チンは1833年の夏にコレラのため死去した[1]。チンの死後、ジョンソンは別の奴隷との関係を持った[13]。彼女が別の男性と関係を持ってジョンソンから離れようとすると、ジョンソンは彼女を捕らえて競りで売却した。彼はその後彼女の妹と関係を持った[13][14]

ジョンソンとチンには二人の娘、アダリーン・チン・ジョンソンおよびイモージェン・チン・ジョンソンがいた[12]。ジョンソンは二人が教育を受けられるよう取りはからった[1]。娘達は白人男性と結婚し、ジョンソンは自身の財産から大きな土地を与えた[10]。アダリーン・チンには子どもがおらず、1836年に死去した[15]。ジョンソンはイモージェンを娘として取り扱ったものの、彼女はジョンソンの財産を相続しなかった[15]。ジョンソンの死に際してファイエット郡の裁判所は「彼は未亡人、子ども、父親、母親ともいないまま死去した」と裁決し、彼の兄弟のジョンとヘンリーにその財産を相続させた[16]
政治経歴

ジョンソンはその政治経歴を、1804年に選出されたスコット郡選出のケンタッキー州下院議員から始める[2]。選出当時彼は23歳であった[17]。ケンタッキー州憲法(英語版)では下院議員の年齢を24歳以上に制限していたが、ジョンソンは非常に人気があり、誰も彼の年齢に関する疑問を提示せず、彼は議員に就任することができた[17]。彼はすぐに司法委員会に加わった[18]。彼は在任中、土地の投機者から移住者を保護するための法律を支持した[2]1807年1月26日に彼はバーの陰謀を非難する声明を発表した[19]

ジョンソンは1806年まで州下院議員を務め、その後民主共和党の候補として第10議会に選任された[17]。1806年8月の選出時、彼はアメリカ合衆国憲法が定める必須年齢の25歳に達していなかったが、翌年3月の議会開催時には規定の年齢に達していた[17]。彼は連続六期を務め、1807年から1813年まで第4選挙区から選出[20]、1813年から1815年まで大選挙区、1815年から1819年まで第3選挙区[20]から選出された。彼は議会で貧民の関心を訴え続け、第一合衆国銀行の再認に反対したことで国中の注目を集めた[2]

ジョンソンは第11議会(1809年 - 1811年)において下院請求委員会の委員長を務めた[21]。委員会は独立戦争の退役軍人によって提起された金融請求訴訟を審判するのに責任を負った。委員長の立場で彼は、ワシントン政権下でアレクサンダー・ハミルトンが削減させた賃金に対してハミルトン未亡人のクレームを委員会が承諾するのに影響を及ぼそうとした[22]。ハミルトンは対立党の連邦党の中心人物であったが、ジョンソンはハミルトン未亡人に同情し、自らの任期終了前に賃金の支払いを保証した[22]
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