リチウムイオン二次電池
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リチウムイオン二次電池という命名はソニー・エナジー・テックの戸澤奎三郎による[9][10]

なお、似た名前の電池には以下のようなものがある。

リチウム電池は、負極に金属リチウムを使う一次電池。リチウムイオンが電気伝導を担う点はリチウムイオン電池と同じだが、リチウム金属そのものの溶解・析出反応であり、黒鉛を使う場合のように黒鉛の層状構造の間にリチウムイオンが出入りするインターカレーションによるリチウムイオン電池とは異なる。金属リチウムの二次電池への応用は全固体電池における研究が進んでいる。

リチウムポリマー電池(LiPo電池)は、リチウムイオン電池の一種で、電解質にゲル状のポリマー高分子)を使う二次電池。

リン酸鉄リチウムイオン電池(LiFe電池)は、リチウムイオン電池の一種で、正極材料にリン酸鉄リチウム(英語版)を使う二次電池。

識別色は■青(シアン)。
歴史
背景NASAの大型リチウムイオンポリマー二次電池ファルタマイクロバッテリー社製リチウムイオンバッテリー。
アルトルスハイム()オートビジョン自動車博物館

1980年代、携帯電話ノートパソコンなどの携帯機器の開発により、高容量で小型軽量な二次電池(充電可能な電池)のニーズが高まった。従来のニッケル水素電池などには容量重量比に限界があり、新型二次電池が切望されていた[要出典]。

1976年、エクソンスタンリー・ウィッティンガムは、正極に二硫化チタン(英語版)、負極に金属リチウムを使う二次電池を開発・提案した[11]。この電池は、特に負極側で安全性に問題(充電時のデンドライト問題、金属リチウムの反応性の問題)があり実用化はされなかったが、二硫化チタンは層状の化合物で、リチウムイオンを分子レベルで収納できるスペースを持ち、リチウムイオンが繰り返し出入りしても形が壊れにくい特徴を持つ物質だった。この"層状化合物にイオンが出入りする"という現象は「インターカレーション」と呼ばれており、その優れた特性から、その後にインターカレーション型の電極が盛んに研究されるようになった。

1974 - 1976年、ミュンヘン工科大学ベーゼンハルト黒鉛内のリチウムイオンの可逆的なインターカレーション[12][13]と陰極の酸化物へのインターカレーションを発見した[14][15]。1976年、ベーゼンハルトはリチウム電池での応用を提案した[16][17](ただし、黒鉛が層間にアルカリ金属などを取り込み黒鉛層間化合物(英語版)をつくることは1926年から知られていた)。

1978 - 1979年、ペンシルベニア大学のSamar Basuは、黒鉛内でのリチウムイオンの電気化学的インターカレーションを実証した[18][19]

しかし、負極に黒鉛を用いると、当時の一般的な電解液であるプロピレンカーボネート(金属リチウム電池に使われている)を始めとするほとんどの有機物は負極側で分解してしまう[20]ため、有機電解液を用いて炭素系材料にリチウムイオンを安定して電気化学的にインターカレーションさせることは困難と考えられていた。つまり負極に黒鉛を使う二次電池は実用化が困難とされていた。

1980年、オックスフォード大学ジョン・グッドイナフ水島公一らはリチウムと酸化コバルトの化合物であるコバルト酸リチウム (LiCoO2) などのリチウム遷移金属酸化物を正極材料として提案した[21][22]。これがリチウムイオン二次電池の正極の起源である。

1981年、三洋電機から黒鉛炭素質を負極材料とする二次電池の特許が出願された[23][24][25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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