リチウムイオン二次電池
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1976年、エクソンスタンリー・ウィッティンガムは、正極に二硫化チタン(英語版)、負極に金属リチウムを使う二次電池を開発・提案した[11]。この電池は、特に負極側で安全性に問題(充電時のデンドライト問題、金属リチウムの反応性の問題)があり実用化はされなかったが、二硫化チタンは層状の化合物で、リチウムイオンを分子レベルで収納できるスペースを持ち、リチウムイオンが繰り返し出入りしても形が壊れにくい特徴を持つ物質だった。この"層状化合物にイオンが出入りする"という現象は「インターカレーション」と呼ばれており、その優れた特性から、その後にインターカレーション型の電極が盛んに研究されるようになった。

1974 - 1976年、ミュンヘン工科大学ベーゼンハルト黒鉛内のリチウムイオンの可逆的なインターカレーション[12][13]と陰極の酸化物へのインターカレーションを発見した[14][15]。1976年、ベーゼンハルトはリチウム電池での応用を提案した[16][17](ただし、黒鉛が層間にアルカリ金属などを取り込み黒鉛層間化合物(英語版)をつくることは1926年から知られていた)。

1978 - 1979年、ペンシルベニア大学のSamar Basuは、黒鉛内でのリチウムイオンの電気化学的インターカレーションを実証した[18][19]

しかし、負極に黒鉛を用いると、当時の一般的な電解液であるプロピレンカーボネート(金属リチウム電池に使われている)を始めとするほとんどの有機物は負極側で分解してしまう[20]ため、有機電解液を用いて炭素系材料にリチウムイオンを安定して電気化学的にインターカレーションさせることは困難と考えられていた。つまり負極に黒鉛を使う二次電池は実用化が困難とされていた。

1980年、オックスフォード大学ジョン・グッドイナフ水島公一らはリチウムと酸化コバルトの化合物であるコバルト酸リチウム (LiCoO2) などのリチウム遷移金属酸化物を正極材料として提案した[21][22]。これがリチウムイオン二次電池の正極の起源である。

1981年、三洋電機から黒鉛炭素質を負極材料とする二次電池の特許が出願された[23][24][25]

1982年、ラシド・ヤザミ(英語版)らは固体電解質を用いて黒鉛内にリチウムイオンを電気化学的にインターカレーションさせることを実証した[26][27]

一方、当時京都大学山邊時雄らの量子化学的設計に基づいて提唱されたポリアセン高分子型炭素材料[28]が、一次元グラファイトの名のもとに注目を集め、その作成がいろいろな所で試みられた。これに応えて1981年、カネボウの矢田静邦が、安定な難黒鉛化炭素の一種であるポリアセン系有機半導体(PAS)を作成し[29]、これを用いて2種類のバッテリーが開発され、いずれも実用化された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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