リチウムイオン二次電池
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リチウムイオンが電気伝導を担う点はリチウムイオン電池と同じだが、リチウム金属そのものの溶解・析出反応であり、黒鉛を使う場合のように黒鉛の層状構造の間にリチウムイオンが出入りするインターカレーションによるリチウムイオン電池とは異なる。金属リチウムの二次電池への応用は全固体電池における研究が進んでいる。

リチウムポリマー電池(LiPo電池)は、リチウムイオン電池の一種で、電解質にゲル状のポリマー高分子)を使う二次電池。

リン酸鉄リチウムイオン電池(LiFe電池)は、リチウムイオン電池の一種で、正極材料にリン酸鉄リチウム(英語版)を使う二次電池。

識別色は■青(シアン)。
歴史
背景NASAの大型リチウムイオンポリマー二次電池ファルタマイクロバッテリー社製リチウムイオンバッテリー。
アルトルスハイム()オートビジョン自動車博物館

1980年代、携帯電話ノートパソコンなどの携帯機器の開発により、高容量で小型軽量な二次電池(充電可能な電池)のニーズが高まった。従来のニッケル水素電池などには容量重量比に限界があり、新型二次電池が切望されていた[要出典]。

1976年、エクソンスタンリー・ウィッティンガムは、正極に二硫化チタン(英語版)、負極に金属リチウムを使う二次電池を開発・提案した[11]。この電池は、特に負極側で安全性に問題(充電時のデンドライト問題、金属リチウムの反応性の問題)があり実用化はされなかったが、二硫化チタンは層状の化合物で、リチウムイオンを分子レベルで収納できるスペースを持ち、リチウムイオンが繰り返し出入りしても形が壊れにくい特徴を持つ物質だった。この"層状化合物にイオンが出入りする"という現象は「インターカレーション」と呼ばれており、その優れた特性から、その後にインターカレーション型の電極が盛んに研究されるようになった。

1974 - 1976年、ミュンヘン工科大学ベーゼンハルト黒鉛内のリチウムイオンの可逆的なインターカレーション[12][13]と陰極の酸化物へのインターカレーションを発見した[14][15]。1976年、ベーゼンハルトはリチウム電池での応用を提案した[16][17](ただし、黒鉛が層間にアルカリ金属などを取り込み黒鉛層間化合物(英語版)をつくることは1926年から知られていた)。

1978 - 1979年、ペンシルベニア大学のSamar Basuは、黒鉛内でのリチウムイオンの電気化学的インターカレーションを実証した[18][19]

しかし、負極に黒鉛を用いると、当時の一般的な電解液であるプロピレンカーボネート(金属リチウム電池に使われている)を始めとするほとんどの有機物は負極側で分解してしまう[20]ため、有機電解液を用いて炭素系材料にリチウムイオンを安定して電気化学的にインターカレーションさせることは困難と考えられていた。つまり負極に黒鉛を使う二次電池は実用化が困難とされていた。

1980年、オックスフォード大学ジョン・グッドイナフ水島公一らはリチウムと酸化コバルトの化合物であるコバルト酸リチウム (LiCoO2) などのリチウム遷移金属酸化物を正極材料として提案した[21][22]。これがリチウムイオン二次電池の正極の起源である。

1981年、三洋電機から黒鉛炭素質を負極材料とする二次電池の特許が出願された[23][24][25]

1982年、ラシド・ヤザミ(英語版)らは固体電解質を用いて黒鉛内にリチウムイオンを電気化学的にインターカレーションさせることを実証した[26][27]

一方、当時京都大学山邊時雄らの量子化学的設計に基づいて提唱されたポリアセン高分子型炭素材料[28]が、一次元グラファイトの名のもとに注目を集め、その作成がいろいろな所で試みられた。これに応えて1981年、カネボウの矢田静邦が、安定な難黒鉛化炭素の一種であるポリアセン系有機半導体(PAS)を作成し[29]、これを用いて2種類のバッテリーが開発され、いずれも実用化された。一つは双方ともにPASを用いたキャパシタ的電池(PAS電池)、もう一つは負極にLiイオンをあらかじめドーピングしたPASを用いたもの(リチウムイオンキャパシタ)である。後者は、正極はキャパシタと同様に、負極はリチウムイオン電池と同様に作動する。このように、PASによって炭素材でもスムーズで安定なLiドープ、脱ドープが可能であることが初めて見出され、これを機に電気化学的に安定なドープ、脱ドープが可能な難黒鉛化から易黒鉛化を含む電極用炭素材料の開発が方々でなされることとなった[30]

1983年、マイケル・メイクピース・サッカレー(英語版)とジョン・グッドイナフらは、スピネル構造を有するマンガン酸リチウム(LiMn2O4)を正極材料として紹介した[31]。コバルト酸リチウムと比較して安価で安全という特徴がある。1996年に正極材料として実用化され、コバルト酸リチウムと同様に一般的に使われている。

1986年、カナダのMoli Energy(英語版)により、正極に硫化モリブデン、負極に金属リチウムを使用した金属リチウム二次電池が製品化されたが、金属リチウムの化学活性がきわめて高いため、可逆性(充電の過程で負極にリチウムのデンドライトが析出・成長してそれが正極に接して短絡する危険性)や反応性(ほんの少しでも水分に触れると激しく発熱して水素ガスを発生させて発火する危険性)に問題があった。1989年にはNTTのショルダー型携帯電話などで発火事故が相次ぎ[32]、実用化されたとは言いがたく、金属リチウムを負極に使った一次電池は市販化されているが、二次電池への応用は危険とされ広く用いられることはなかった。

1990年、ジェフ・ダーンらは、負極に黒鉛を用いた場合に、電解液としてエチレンカーボネートを用いると初期の充電で分解されるものの、黒鉛表面に保護被膜を形成することにより有機電解液の分解反応を停止できることを発見した[33]。(1994年に松下電池工業により電解液として採用され、現在に至るまでほぼ必須の溶媒として使われている。)
リチウムイオン二次電池の創出と実現

旭化成工業吉野彰(2019年ノーベル化学賞)らは、白川英樹(2000年ノーベル化学賞)が1977年に発見した電気を通すプラスチックであるポリアセチレンに注目し、1981年に有機溶媒を用いた二次電池の負極に適していることを見いだした。


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