リスボンは亜熱帯 - 地中海性気候(ケッペンの気候区分ではCsa)[13]に属し、穏やかで暖かな冬と暑い夏がある。年間の平均気温はおおむね日中が22.1℃で、夜間が14.1℃。冬の降雪はまれであるが、1993、1994、2006、2007年に観測された。最寒月は1月で気温の範囲はおおむね9 - 15℃。最暖月は8月で気温の範囲はおおむね19 - 29°C。夏は通常、5月から10月の6か月間続く。3月、4月、11月は季節の変わり目で、気温は時折20℃を上回り、これら3か月の日中の平均気温は19.5℃、夜間の平均気温は12.3℃。12月、1月、2月は一番寒い月で、日中の平均気温は15.8℃、夜間の平均気温は9.7℃。ヨーロッパの大都市や首都の中ではリスボンは一番温暖な冬である。降雨はおもに冬に見られ、夏は概して乾燥している。
リスボン(1991?2020)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)23.1
(73.6)25.4
(77.7)29.4
(84.9)38.7
(101.7)35.1
(95.2)41.5
(106.7)40.6
(105.1)43.3
(109.9)38.4
(101.1)35.3
(95.5)27.8
(82)23.2
(73.8)43.3
(109.9)
平均最高気温 °C (°F)15.2
(59.4)16.5
(61.7)19.2
(66.6)20.8
(69.4)23.8
(74.8)26.7
(80.1)28.7
(83.7)29.4
(84.9)27.1
(80.8)23.2
(73.8)18.5
(65.3)15.6
(60.1)22.1
(71.8)
日平均気温 °C (°F)11.6
(52.9)12.4
(54.3)14.6
(58.3)15.9
(60.6)18.4
(65.1)20.9
(69.6)22.7
(72.9)23.2
(73.8)21.6
(70.9)18.7
(65.7)14.8
(58.6)12.3
(54.1)17.3
(63.1)
平均最低気温 °C (°F)9.3
(48.7)9.8
(49.6)11.7
(53.1)12.8
(55)14.9
(58.8)17.0
(62.6)18.6
(65.5)19.0
(66.2)18.0
(64.4)15.8
(60.4)12.4
(54.3)10.0
(50)14.1
(57.4)
最低気温記録 °C (°F)0.0
(32)?0.9
(30.4)0.3
(32.5)4.3
(39.7)6.4
(43.5)9.5
(49.1)12.1
(53.8)11.2
(52.2)10.3
(50.5)6.7
(44.1)2.9
(37.2)0.0
(32)?0.9
(30.4)
降水量 mm (inch)102.7
(4.043)73.7
(2.902)70.2
(2.764)62.6
(2.465)53.4
(2.102)12.4
(0.488)2.1
(0.083)5.1
(0.201)34.4
(1.354)108.3
(4.264)122.1
(4.807)105.6
(4.157)752.6
(29.63)
出典: ⇒http://www.pogodaiklimat.ru/climate2.php?id=01317
地域流行の地区となっているアルカンタラの埠頭
地元のリスボンの住民はより一般的にリスボンの場所を歴史的なバイロ (en
) (地区)で表している。これらの地域の範囲ははっきりとは定められておらず、共通の歴史文化やランドマークとして確認できる建築物、暮らしの水準や地元の雰囲気により表された独特の地区で、バイロ・アルト(Bairro Alto)やアルファマ(Alfama)、シアード(Chiado)などさまざまである。リスボン市は行政教区であるフレギジーア(英語版)(freguesias)と呼ばれる53の下位の行政区画に2012年11月まで分けられていた。新しい法律("Lei n.o 56/2012") によりフレギジーア数は24に減っている。
今日では完全に中心部になっているが、かつては単なるリスボンの郊外に過ぎず、ほとんどは農場や邸宅が占めていた。16世紀には小川があり、貴族たちが自分たちの小舟で遊覧していた。19世紀後半を通して、アルカンタラ地区は多くの小さな工場や倉庫が建ち並ぶ工業地区となった。100年を経て、この地域では多くの魅力的で古い建物は失われ、小川(村の女性たちが洗濯する場)もなくなった。 1990年代初期、アルカンタラは多くのパブやディスコにより若者を惹きつけるようになった。これはおもに、ほとんどが商工業用の建物からなる町の外縁の区域であることから、騒音を生み出すナイトライフと周囲の住宅地域との間の防壁としての役割を果たしていた。一方ではジェントリフィケーションが進み、いくつかの地区では再開発が行われ、街の中心に近く川の景色を望むことのできるロフト・アパートや新しいマンションの開発が集中している。サン・ジョルジェ城アラファマのポルタス・ド・ソルを走るトラム リスボンでももっとも古い地区で、サン・ジョルジェ城からテージョ川にかけ南斜面に広がる。地区の名称はアラビア語のAl-hammaに由来しており、泉や浴場を意味する。ウマイヤ朝によるヒスパニアの征服
Ajuda
Alcantara
Alto do Pina
Alvalade
Ameixoeira
Anjos
Beato
Benfica
Campo Grande
Campolide
Carnide
Castelo
Charneca
Coracao de Jesus
Encarnacao
Graca
Lapa
Lumiar
Madalena
Martires
Marvila
Merces
Nossa Senhora de Fatima
Pena
Penha de Franca
Prazeres
Sacramento
Santa Catarina
Santa Engracia
Santa Isabel
Santa Justa
Santa Maria de Belem
Santa Maria dos Olivais
Santiago
Santo Condestavel
Santo Estevao
Santos-o-Velho
Sao Cristovao e Sao Lourenco
Sao Domingos de Benfica
Sao Francisco Xavier
Sao Joao
Sao Joao de Brito
Sao Joao de Deus
Sao Jorge de Arroios
Sao Jose
Sao Mamede
Sao Miguel
Sao Nicolau
Sao Paulo
Sao Sebastiao da Pedreira
Sao Vicente de Fora
Se
Socorro
アルカンタラ
アルファマ詳細は「アルファマ」を参照
バイロ・アルト詳細は「バイロ・アルト」を参照
バイロ・アルト(Bairro Alto)はポルトガル語で「高い地区」を意味し、リスボンの中心地区の一つである。住宅や商業、娯楽の地区で、若者を惹きつけるポルトガルの首都のナイトライフの中心である。バイロはリスボンのパンクやゲイ、ヘヴィメタル、ゴス、ヒップホップ、レゲエなどそれぞれのシーンの拠点で、クラバやバーに専門性を与えている。ポルトガルの民族歌謡であるファドは新しいナイトライフでも残っており、バイロ・アルトに集まる群衆には文化や娯楽の多文化が混在している。バイシャのアウグスタ通り(英語版)コメルシオ広場へ続いている。
バイシャ詳細は「バイシャ・ポンバリーナ」を参照
バイシャ・ポンパリーナはリスボンのダウンタウンで街の中心で、単にバイシャと呼ばれることも多い。バイシャ・ポンパリーナは洗練された地区である。おもにリスボン地震のあとに造られ、その名称はジョゼ1世下で宰相でポルトガルの啓蒙時代に鍵となる人物であったポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョの名から取られている。1755年の震災後、公爵はリスボンの再建に関して厳しい条件と建設指針を課し、震災前の地区を特徴づけていた本来の通りは現在の格子状の通りへと変わった。結果として、バイシャ・ポンパリーナは耐震建築の最初の一例となった。
建築のモデルは兵士たちを周辺で行進させ、地震に見立てて試験が行われた。注目されるポンパリーナ構造には「ポンパリーナ・ケージ」も含まれ、地震の力を分散することを目的とした対称的な木製の格子状の骨組みと、火災の広がりを防ぐためテラス間の壁が屋根材より高く造られた特徴が含まれる。
ベレンジェロニモス修道院はポルトガル中でも最も人が訪れる建物の1つ。