リスボン
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市街は西南ヨーロッパの大西洋岸に位置するテージョ川河口の湾の北岸に位置している。川幅が広がっていったテージョ川は大西洋に注ぐ最後の数キロの河口部分は狭くなっていく。岸からはいくつかの丘が隆起しており、リスボンには高い丘や深い谷がある。リスボンの最高地点は226メートルで、市街は長い間テージョ川に沿って開けていた。20世紀以来、内陸部にも都市が開けている。リスボンの最西部にはモンサント森林公園(英語版)があり、10平方キロメートル(4平方マイル) を占めヨーロッパでは最大規模の都市公園で、市域面積の10パーセントを占めている。リスボンの市域面積は84.94平方キロメートル(33平方マイル)を占め、ほかの大都市とは異なり歴史的な中心の狭い範囲が市域として定められている[12] 。ほかの都市化されたリスボン都市圏地域(英語版)は一般的に大リスボン圏(英語版)(ポルトガル語: Grande Lisboa)として知られ、実際にはいくつかの都市や自治体に定められており、アマドーラやケルシュ(ポルトガル語版)、アグアルヴァ=カセン(ポルトガル語版)、オディヴェーラシュ(ポルトガル語版)、ローレシュ(ポルトガル語版)、アルマーダバレイル、セイシャル(ポルトガル語版)、オエイラシュ(ポルトガル語版)などがある。
気候

リスボンは亜熱帯 - 地中海性気候ケッペンの気候区分ではCsa)[13]に属し、穏やかで暖かな冬と暑い夏がある。年間の平均気温はおおむね日中が22.1℃で、夜間が14.1℃。冬の降雪はまれであるが、1993、1994、2006、2007年に観測された。最寒月は1月で気温の範囲はおおむね9 - 15℃。最暖月は8月で気温の範囲はおおむね19 - 29°C。夏は通常、5月から10月の6か月間続く。3月、4月、11月は季節の変わり目で、気温は時折20℃を上回り、これら3か月の日中の平均気温は19.5℃、夜間の平均気温は12.3℃。12月、1月、2月は一番寒い月で、日中の平均気温は15.8℃、夜間の平均気温は9.7℃。ヨーロッパの大都市や首都の中ではリスボンは一番温暖な冬である。降雨はおもに冬に見られ、夏は概して乾燥している。

リスボン(1991?2020)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)23.1
(73.6)25.4
(77.7)29.4
(84.9)38.7
(101.7)35.1
(95.2)41.5
(106.7)40.6
(105.1)43.3
(109.9)38.4
(101.1)35.3
(95.5)27.8
(82)23.2
(73.8)43.3
(109.9)
平均最高気温 °C (°F)15.2
(59.4)16.5
(61.7)19.2
(66.6)20.8
(69.4)23.8
(74.8)26.7
(80.1)28.7
(83.7)29.4
(84.9)27.1
(80.8)23.2
(73.8)18.5
(65.3)15.6
(60.1)22.1
(71.8)
日平均気温 °C (°F)11.6
(52.9)12.4
(54.3)14.6
(58.3)15.9
(60.6)18.4
(65.1)20.9
(69.6)22.7
(72.9)23.2
(73.8)21.6
(70.9)18.7
(65.7)14.8
(58.6)12.3
(54.1)17.3
(63.1)
平均最低気温 °C (°F)9.3
(48.7)9.8
(49.6)11.7
(53.1)12.8
(55)14.9
(58.8)17.0
(62.6)18.6
(65.5)19.0
(66.2)18.0
(64.4)15.8
(60.4)12.4
(54.3)10.0
(50)14.1
(57.4)
最低気温記録 °C (°F)0.0
(32)?0.9
(30.4)0.3
(32.5)4.3
(39.7)6.4
(43.5)9.5
(49.1)12.1
(53.8)11.2
(52.2)10.3
(50.5)6.7
(44.1)2.9
(37.2)0.0
(32)?0.9
(30.4)
降水量 mm (inch)102.7
(4.043)73.7
(2.902)70.2
(2.764)62.6
(2.465)53.4
(2.102)12.4
(0.488)2.1
(0.083)5.1
(0.201)34.4
(1.354)108.3
(4.264)122.1
(4.807)105.6
(4.157)752.6
(29.63)
出典: ⇒http://www.pogodaiklimat.ru/climate2.php?id=01317

地域流行の地区となっているアルカンタラの埠頭

地元のリスボンの住民はより一般的にリスボンの場所を歴史的なバイロ (en) (地区)で表している。これらの地域の範囲ははっきりとは定められておらず、共通の歴史文化やランドマークとして確認できる建築物、暮らしの水準や地元の雰囲気により表された独特の地区で、バイロ・アルト(Bairro Alto)やアルファマ(Alfama)、シアード(Chiado)などさまざまである。
行政教区リスボンの行政教区 (ポルトガル語: freguesias)

リスボン市は行政教区であるフレギジーア(英語版)(freguesias)と呼ばれる53の下位の行政区画に2012年11月まで分けられていた。新しい法律("Lei n.o 56/2012") によりフレギジーア数は24に減っている。



Ajuda

Alcantara

Alto do Pina

Alvalade

Ameixoeira

Anjos

Beato

Benfica

Campo Grande

Campolide

Carnide

Castelo

Charneca

Coracao de Jesus


Encarnacao

Graca

Lapa

Lumiar

Madalena

Martires

Marvila

Merces

Nossa Senhora de Fatima

Pena

Penha de Franca

Prazeres

Sacramento

Santa Catarina


Santa Engracia

Santa Isabel

Santa Justa

Santa Maria de Belem

Santa Maria dos Olivais

Santiago

Santo Condestavel

Santo Estevao

Santos-o-Velho

Sao Cristovao e Sao Lourenco

Sao Domingos de Benfica

Sao Francisco Xavier

Sao Joao

Sao Joao de Brito


Sao Joao de Deus

Sao Jorge de Arroios

Sao Jose

Sao Mamede

Sao Miguel

Sao Nicolau

Sao Paulo

Sao Sebastiao da Pedreira

Sao Vicente de Fora

Se

Socorro


アルカンタラ

今日では完全に中心部になっているが、かつては単なるリスボンの郊外に過ぎず、ほとんどは農場や邸宅が占めていた。16世紀には小川があり、貴族たちが自分たちの小舟で遊覧していた。19世紀後半を通して、アルカンタラ地区は多くの小さな工場や倉庫が建ち並ぶ工業地区となった。100年を経て、この地域では多くの魅力的で古い建物は失われ、小川(村の女性たちが洗濯する場)もなくなった。

1990年代初期、アルカンタラは多くのパブやディスコにより若者を惹きつけるようになった。これはおもに、ほとんどが商工業用の建物からなる町の外縁の区域であることから、騒音を生み出すナイトライフと周囲の住宅地域との間の防壁としての役割を果たしていた。一方ではジェントリフィケーションが進み、いくつかの地区では再開発が行われ、街の中心に近く川の景色を望むことのできるロフト・アパートや新しいマンションの開発が集中している。サン・ジョルジェ城アラファマのポルタス・ド・ソルを走るトラム
アルファマ詳細は「アルファマ」を参照

リスボンでももっとも古い地区で、サン・ジョルジェ城からテージョ川にかけ南斜面に広がる。地区の名称はアラビア語のAl-hammaに由来しており、泉や浴場を意味する。ウマイヤ朝によるヒスパニアの征服(英語版)の時期、アルファマは市内の大部分を占め西側のバイシャ地区に拡大した。だんだんとアルファマには漁師や貧しい人々が暮らすようになり、貧しい地区との評判は今日でも続いている。1755年リスボン地震のときには首都全体は大きな被害に見舞われたが、アルファマは複雑で密集した狭い路地と小さな広場により少ない被害で済んだ。被害から免れた歴史的な地区には、住宅や小さな店、ファドのバーやレストランなどさまざまな用途に建物が使われている。新しい建物も建てられてきたが、古い建物も別の目的に利用されたりリフォームされたりしており、現代化の傾向は地区を活気づけている。
バイロ・アルト詳細は「バイロ・アルト」を参照

バイロ・アルト(Bairro Alto)はポルトガル語で「高い地区」を意味し、リスボンの中心地区の一つである。住宅や商業、娯楽の地区で、若者を惹きつけるポルトガルの首都のナイトライフの中心である。バイロはリスボンのパンクゲイヘヴィメタルゴスヒップホップレゲエなどそれぞれのシーンの拠点で、クラバやバーに専門性を与えている。ポルトガルの民族歌謡であるファドは新しいナイトライフでも残っており、バイロ・アルトに集まる群衆には文化や娯楽の多文化が混在している。バイシャのアウグスタ通り(英語版)コメルシオ広場へ続いている。
バイシャ詳細は「バイシャ・ポンバリーナ」を参照

バイシャ・ポンパリーナはリスボンのダウンタウンで街の中心で、単にバイシャと呼ばれることも多い。バイシャ・ポンパリーナは洗練された地区である。おもにリスボン地震のあとに造られ、その名称はジョゼ1世下で宰相でポルトガルの啓蒙時代に鍵となる人物であったポンバル侯爵セバスティアン・デ・カルヴァーリョの名から取られている。1755年の震災後、公爵はリスボンの再建に関して厳しい条件と建設指針を課し、震災前の地区を特徴づけていた本来の通りは現在の格子状の通りへと変わった。結果として、バイシャ・ポンパリーナは耐震建築の最初の一例となった。

建築のモデルは兵士たちを周辺で行進させ、地震に見立てて試験が行われた。注目されるポンパリーナ構造には「ポンパリーナ・ケージ」も含まれ、地震の力を分散することを目的とした対称的な木製の格子状の骨組みと、火災の広がりを防ぐためテラス間の壁が屋根材より高く造られた特徴が含まれる。
ベレンジェロニモス修道院はポルトガル中でも最も人が訪れる建物の1つ。


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