スナクは1980年5月12日にハンプシャーのサウサンプトンで、ケニア生まれの総合診療医の父と、タンザニア生まれの薬剤師の母の長男として生まれた[16]。祖父はインドのパンジャーブ出身で、1960年代に東アフリカからイギリスへ家族とともに移住している[17]。
ウィンチェスター・カレッジを経て、オックスフォード大学リンカーン・カレッジで哲学、政治学、経済学(PPE)を学び、フルブライト奨学金を得てカリフォルニアのスタンフォード大学経営大学院でMBAを取得[18]。卒業後は、ゴールドマン・サックスやヘッジファンドのザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンドなどで勤務した[19]。 2015年イギリス総選挙に、引退するウィリアム・ヘイグの後継としてリッチモンド選挙区
政治家として
2017年イギリス総選挙では63.9%の得票率で再選[20]。2018年には、内閣改造によりテリーザ・メイ首相の第2次政権で地方政府担当国務次官に任命された[21]。2019年イギリス総選挙では63.6%の得票率で3選[22]。選挙期間中には、BBCとITVがそれぞれ開いた7党が参加する討論会に保守党の代表者として出席した[23][24]。
財務大臣米国財務長官ジャネット・イエレン、イタリア元首相パオロ・ジェンティローニらと(2021年6月5日)
2020年2月13日、ジョンソン首相に側近の交代を求められたサジド・ジャヴィド財務相が、この要求を拒否し辞任を発表した。これを受けてスナクは、後任の財務相に任命された[25]。
スナクは財務大臣として、新型コロナウイルス感染拡大下での雇用維持やEat Out to Help Outスキームなど、COVID-19の大流行とその経済的影響に対する政府の財政的対応に深く関与した。2022年4月、新型コロナウイルス対策のロックダウン期間中に規制違反のパーティーを開いたとして、ジョンソン首相と共に警察から罰金を命じられている[26][27]。
2022年7月5日、ジョンソン首相との経済政策の相違を辞表の理由に財務大臣を辞任した[28]。スナク財務相の辞任は、サジド・ジャヴィド保健相の辞任も相まってジョンソン首相の辞任を招いた。
2度の保守党党首選挙出馬スナク内閣の閣議(2022年10月26日)スコットランド首相のニコラ・スタージョンと(2022年11月10日)キーウ初訪問にてウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領と(2022年11月19日)
ジョンソンが辞意を表明した直後の翌7月8日に、党首選挙へ立候補することを表明した[29]。庶民院議員による予備選挙の5回の投票では全て1位となり、リズ・トラス外相との党員全員による決選投票に進んだ[30]。9月5日に結果が発表され、スナクは6万399票にとどまり、8万1326票を獲得したトラスに敗れ落選した[31]。
2022年10月23日、トラスの辞任表明を受け行われる保守党党首選挙へ再立候補することを表明した[32]。10月24日午後1時半時点で、スナクは保守党議員357人のうち193人の支持を得ていた。有力候補とも見做されていたジョンソン前首相、ペニー・モーダント庶民院院内総務が立候補受付の10月24日までに相次いで出馬を断念したため、同日午後2時に1922年委員会のグレアム・ブレイディー委員長がスナクの無投票当選を宣言した[33][34][35]。
スナクは午後4時過ぎから、保守党本部で新党首として初めて演説をした。開口一番トラス首相に感謝し、「多大な変化と、国の内外がきわめて難しい状況」の中、「威厳ある」指導力を示したとたたえた。続けて、同僚議員たちの支持を得て党首に選ばれたことについて「身が引き締まる思いで、名誉に思っている」とした上で、「愛する党に仕え、多大な恩義のある国に恩返しができるのは、人生で最高の栄誉だ」と話した。イギリスは「偉大な国」だが、「まぎれもなく経済的に甚大な課題に直面している」と指摘し、「私たちはいま安定と団結が必要だ」、「この党とこの国をひとつにまとめることを、自分の最優先課題にする。課題を乗り越え、子供や孫たちのためにより良い、豊かな将来を築くには、それしか方法がないからだ」と述べた。最後に「誠実に、そして謙虚に、皆さんに仕えると誓います」「イギリスの人たちのため結果を出すよう、昼夜を問わず働きます」と約束し、演説を締めくくった[33]。