リコー
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戦後の財閥解体による理研コンツェルンの解体を経て、事業の多角化に伴い1963年に現社名となった[6]。「理化学研究所」および「理研グループ」も参照

複写機用感光紙製造事業から出発し、戦前からカメラを製造していた老舗カメラメーカーでもあるが、1955年に「リコピー」1号機「リコピー101」を発売して事務機器分野へ進出[5]。以降、カメラなど光学機器分野と複写機など事務機器分野の2本柱を中心に事業を展開し、1977年4月には業界で初めて「オフィス・オートメーション (OA) 」を提唱した[7][8]

OA機器分野では「販売のリコー」とも呼ばれるほど広く厚い販売網を持っており、企業商店にも強く、複合機の印刷速度が速い代償として故障しやすいため、顧客先へのサポートはほぼ毎日と言っていいほど行われている。過去には、表計算ソフト「マイツール」、ワープロ専用機「マイリポート」といった、このターゲットに特化したヒット商品も放った。かつては各都道府県に一つは販売子会社を持っていたが、2004年から2005年にかけて、それまで都道府県ごとに存在していた販社を地方ブロックごとに統合する作業を進めた。

2005年10月1日付より、新CIロゴを制定し、社名フォントも一新した。

2015年から国内において建物内の全面禁煙を開始した。社員に対しては出張や移動中など社外であっても就業時間内は禁煙が義務付けられた。また禁煙を支援するため独自の補助制度も新設した[9]

2017年MITが監修する『MIT Technology Review』誌において、2017年で注目すべき10個の革新的技術の1つとして「360度自撮り技術(The 360-Degree Selfie)」のなかで、Kodak等の製品とともに、リコーのRICOH THETA Sが紹介された[10]

本社は元グループ会社の三愛と共に長年東京・銀座にあったが、三愛を分割・売却した後、首都圏事業所再編の一環として2017年末限りで引き払った。2018年1月5日から、創業の地である大田区中馬込の馬込事業所を「本社事業所」と改称して移転した。なお、銀座のビル「三愛ドリームセンター」は2006年よりリコーが広告主となっており、このビルにはリコーが運営するフォトギャラリー「RING CUBE」が設置されている。「三愛#沿革」も参照
沿革「市村清」も参照
創業 - 終戦まで

1929年

3月 -
理化学研究所が開発した感光紙「理研陽画感光紙」の九州総代理店「吉村商会」の権利を、市村清が譲受して福岡市で独立開業する[11]
その後、業績拡大により日本統治時代の朝鮮満州国の総代理店の権利も得る[11]

1933年

3月 - 理化学研究所所長の大河内正敏から招聘され、研究所で開発された技術の商品化を図る理化学興業株式会社の感光紙部に部長として入社[11]
しかし貧農出身で学歴もない市村の抜擢に周囲が反発し、社内で四面楚歌となる[11]

1936年

2月6日 - 会社設立[5]。大河内正敏の厚意により、理化学興業感光紙部を理研感光紙株式会社として独立[11]。市村清が代表権を持つ専務取締役に就任[7][11]会長は大河内が務めたが、社長は空席での会社設立であった[11]。これに伴い吉村商会は解散、理研感光紙福岡支店となる[11]
その後、理研感光紙の業績良好につき大河内からの信任が深まり、市村は理研関連会社の役員を兼務、60社を越える理研コンツェルンの中心的存在となる[11]

1937年11月 - 大河内が会長を務める旭光学工業株式会社(現:リコー大森事業所)の専務取締役に市村が就任[11]

1938年3月 - 理研光学工業株式会社に商号変更[7]

1942年

6月 - 旭光学工業が旭無線に社名変更[11]
大河内の厚意により、理研光学工業、旭無線、飛行機特殊部品の3社が理研コンツェルンから切り離され完全に独立[11]

戦後 - 1960年代

1946年

1月12日 - 市村清が理研感光紙の社長に就任[7]

10月 - 旭無線が旭精密工業に社名変更[11]


1950年3月 - 二眼レフカメラ「リコーフレックスIII」発売、国産カメラ初のベルトコンベアによるライン生産方式を採用、大量生産体制を確立し低価格化を実現[5][7]。これにより大河内記念生産賞を受賞[7]

1953年4月 - 旭精密機器工業と、同じく関連会社であった愛光商事株式会社を吸収合併し、東京都大田区大森工場(現:リコー大森事業所)を設立[7][11]

1955年

2月 - 社長の市村清が、有力カメラ特約店との新規契約のためアメリカを訪問しカメラ輸出の基礎を固める[11]

11月 - 卓上型ジアゾ湿式複写機「リコピー101」発売、事務機器分野へ進出[5]


1958年5月30日 - 本店を東京都中央区銀座三丁目1番地から、東京都大田区馬込町西四丁目33番地(大森工場、現在の本社事業所)に移転。

1960年

8月 - 事務用オフセット印刷機1号機「リコーオフセットB4」発売[7]

12月 - 国産初の自動露出EEカメラ「リコーオート35」[12]発売[5]


1962年

4月 - 静岡県沼津市製紙工場と感光紙工場を建設(現:沼津事業所)、世界初の原紙抄造から感光紙製造までの一貫生産体制を実現[5]

5月 - 大森本社に事務機工場・総合研究所を建設[5]。5月17日の披露パーティーには池田勇人首相(当時)も出席した[5]

11月 - 完全自動ハーフサイズカメラリコーオートハーフ」発売[5][13]


1963年


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