リオデジャネイロ州
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北東にエスピリトサント州、北にミナスジェライス州、西にサンパウロ州と隣接し、南は大西洋に面する。州都はリオデジャネイロ

州都のリオデジャネイロは1763年に最初の首都サルヴァドール・ダ・バイーアよりポルトガルのブラジル植民地(英語版)の首都に遷都され、1822年から1960年までは独立後のブラジルの首都だった。1960年に首都は現首都のブラジリアに遷都された。州の略称は「RJ」である。
歴史
植民地時代パソ・インペリアル、18世紀にジョアン4世によって建設された植民地総督と、二人のブラジル皇帝の宮殿

リオデジャネイロ一帯はブラジル発見の直後、1502年から欧州人の間で知られており、その起源はポルトガルの植民地であったサン・ヴィセンテと初代ブラジル総督トメ・デ・ソウザによるものとされている。サン・ヴィゼンテは1555年から1567年の間に南方への植民を目論んでいたフランス人の侵略を受けたため、その防衛の観点から1565年3月に第3代のブラジル総督メン・デ・サーとその甥エスタシオ・デ・サーによってリオデジャネイロ市が成立した。

17世紀では牛とサトウキビを輸出するための港都だったが、18世紀にミナスジェライスで起きたゴールドラッシュで産出された金や宝石を取り扱い始めたことで都市の発展が大きく刺激され、これにより1763年にブラジル植民地の首府がサルヴァドールからリオデジャネイロに移った。半島戦争により1808年にポルトガル王室がリオデジャネイロに渡ると、王室と共にやってきた多くのポルトガル人により市は新たにヨーロッパ風に整備され、学校や図書館、病院が建設され、ブラジル初の新聞も出版されるようになった。

また、同時にブラジルの自然について記録するためのヨーロッパ人芸術家も一部移入したことにより、ブラジル一帯における文化においても影響を受けた。同時に、Escola Real de Ciencias, Artes e Oficios(王立科学芸術学校)が生まれた。州都リオデジャネイロ
中立都市

1834年にリオデジャネイロは中立都市に変更され、国家の首都のままとなったために、州の新たな州都は隣街のニテロイとなった。1889年に市は連邦地区の州であり、中立都市である共和国の首都となった。1960年に首都がブラジリアに遷都されると、リオデジャネイロ市はグアナバラ州となった。
リオデジャネイロ新州

1975年に、グアナバラ州とリオデジャネイロ州はリオデジャネイロの名の下に合併し、リオデジャネイロは州都となった。かつてのリオデジャネイロ州のシンボルは維持され、グアナバラのシンボルはリオデジャネイロ市に引き継がれた。

2011年1月12日、集中豪雨によりノバ・フリブルゴ近郊で地すべりが発生。死者は700人以上となりブラジル国内の地すべり被害としては過去最悪のものとなった[2]
政治

知事:クラウディオ・カストロ
(英語版)(キリスト教社会党(英語版)所属、2021年就任)

隣接州

ミナスジェライス州

エスピリトサント州

サンパウロ州

地理

州はマタ・アトランティカ生物群系の一部であり、地形はマンティケイラ山脈と大西洋の間に位置する山脈と平原の双方を包括する。沿岸はグアナバラ、セペチーバ、イーリャ・グランデの湾によって湾曲している。

際立ったスロープが海岸部にあり、レスティンガ植物や、湾、ラグーン、熱帯雨林のような多様な環境によってもまた特徴付けられている。

リオデジャネイロ州は南東部最小の州であり、ブラジル最小の州のうちの一つでもある。しかしながら、国で三番目に長い海岸線を有し(バイーア州マラニョン州に続く)、延長は635kmに及ぶ。
主な都市リオデジャネイロ市ニテロイ

リオデジャネイロ

ニテロイ

サンゴンサロ

ドゥケ・デ・カシアス

ノヴァ・イグアス

ベルフォード・ロッショ


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