2020年東京オリンピック開催直前に、コント中の「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」というホロコーストをネタにしたセリフが問題視され、小林が五輪開閉会式ディレクターを解任された原因となった[96]。小林は謝罪コメントの中で、浅はかな方法だったと非を認めており、片桐も意識が低かったと謝罪コメントを出している[97][98]。
歴史学者の濱田浩一郎、東国原英夫、カズレーザーらは、ホロコーストをネタにすることは不適切で許されるものではないと非難している[99][100][101]。一方、茂木健一郎はコントの文脈から問題部分を切り離して取り上げることに反対しており、太田光は解任は止む無しとしながらも、善と真逆の言葉を用いて「できるかな」という番組の偽善性を茶化すためのセリフだったと解説を付け加えている[95][102]。 ラーメンズがシティボーイズやイッセー尾形への尊敬を公言していることから、デザイナーの伊藤弘や高橋幸宏はその影響について論評している[37][76][103]。伊藤は、スタイリッシュでお笑いと演劇の間で分類が難しいスタイルは、シティボーイズやラジカル・ガジベリビンバ・システムの影響を感じながらも、ラーメンズにはテーマ性を強く感じていない[103]。むしろ、ラーメンズの作品はディテールの断片を組み上げているのが特徴で、初期は粗削りな部分が残されていたが、作品を重ねるごとに完成形がきれいな形になっていったと変遷を述べている[103]。「news」公演を観劇していた高橋も同様にシティボーイズやラジカル・ガジベリビンバ・システムの影響を感じており、関西芸人のようなスピード感やボケと突っ込みの定型も感じないが、関西のお笑いに対するアンチではなく本質は「意味のないバカバカしさ」としている[103]。 DJの田中知之は、見る者に知的さを要求するシティボーイズやイッセー尾形との類似性を語りながら、分からない人を突き放す排他性が無く噛み砕いている姿勢を評価している[103]。一方、アドリブの天才として松本人志の名前を挙げて論評しており、計算されたスタイルのラーメンズを対極に置いている[103]。 ラーメンズのキャラクターの薄さも指摘されることが多く、伊藤は「現代片桐概論」で片桐が背負われているシーンを例に挙げ、まるで人形のようだと表現している[103]。高橋はスネークマンショーと比較し、小林克也や伊武雅刀のキャラが立っているのに対し、濃い風貌の片桐でさえ薄く感じるほどラーメンズは顔が見えないと評した[103]。田中は、シティボーイズとの違いに匿名性を挙げ、コントの中でラッパーや落語家に扮してもどういう人かはっきりせず、それゆえ知らない人が見ても面白いところが魅力だとしている[103]。 宮藤官九郎はシンプルで完成された台本なのにどこか不完全な部分があり、翌日の公演では変化があると思わせてくれるところが好きだと小林との対談で答えている[77]。菊地成孔はラーメンズの堅実な音楽の使い方を評価し、文学や演劇の観点からみてもファインアートとして成立していると言及している[104][105]。 自身の短編映像である百式眼鏡で小林と共演した椎名林檎や、小林賢太郎テレビに出演した壇蜜、大泉洋はラーメンズのファンを公言している[103][106][64]。ラッパーのKREVAはラーメンズを高く評価し、コントのセリフをサンプリングし楽曲のCMに二人を起用している[103]。ラーメンズの作品を「計算していないように見せかけて、計算している部分」と「計算していなかったけど、計算したかのように振る舞っているところ」で構成されていると表現し、コント中で披露したラップの韻の踏み方に同じ言葉を使うアーティストとして刺激を受けている[103]。 ますだおかだの増田英彦は、普通のお笑いコンビだったら15秒に1度は笑いのポイントを作るがラーメンズは1分に1回の少なさでも成立しており、それを受け入れている観客を育てていることも合わせて評価している[107]。桧山珠美は観客がラーメンズの一挙手一投足に集中し客席の笑いの引きが早い様を見て、サッカーのサポーターが12人目の選手と言われるように観客は3人目のラーメンズなのではないかと表現した[108]。
評価・影響