ラーメンズ
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「ファンであることを自信に思える、ポスターを持っていたくなる」をコンセプトに、チラシも宣伝用ではなく公演に来た人に渡すものになっていった[5][135]。初期から予算不足を補うために、期限切れの写真フィルムを使用するなど工夫がされている[136]。「STUDY」での鉛筆柄に角がカットされている加工や、鏡の国のアリスの連想から鏡文字を使用した「ALICE」のポスターは広告としては意味を成さないが、ラーメンズの作品の一部として成立している[133][137]

小林のほとんどの公演で関わる舞台監督の野口毅は「NEWS」から、徳澤青弦は2001年の「鯨」から音楽を担当している[138]。鯨では、チェロを使いたいという小林の要望に答えて全編チェロで作曲したが、徳澤の「チェロだけではないですよ」というアピールから、ラーメンズのその後の公演でも製作に携わっている[138]伊賀大介椎名林檎の映像作品・百色眼鏡で小林と一緒に仕事をした縁から、「アリス」のスタイリストを担当した[139]。大学時代の同級生であるニイルセンは、1999年から舞台美術でラーメンズの公演に関わっている[140]
テレビについて

ラーメンズはメディアでの露出を避けており、小林はテレビが苦手な理由に、一方向的なメディアということを挙げている[141]。片桐から見ても、「なんでも自分でやりたくなってしまう」小林の意図と製作側の演出がぶつかりイライラしてしまい、方向性とのズレや浮いている感覚を抱え、地に足をつけてやれる場所にいたいという思いからテレビでの仕事を断っていった[10][135]。ライブであればスタッフを最小人数に抑えることができ、反応がダイレクトなところも良し悪し含めて好きなところとして、舞台ならお金を払ってでも見たい観客と、生にこだわるラーメンズとの相互関係が成り立つと小林は自己分析している[10][141]。またメディアでの露出があると舞台上で役が見えにくくなることから、自分を前面に出すことを避ける意図もあった[10]。片桐からすると小林は演技もできる器用な人間なのでもっとテレビに出てもいいと感じていたが、小林は「台本があるものじゃないと勝負できない」、「ラーメンズの脚本が面白いだけで自分単体は面白くない」とインタビューでは答えている[10][142][143]
オンエアバトル

NHK新人演芸大賞の決勝に残ったことでディレクターの目に止まり、新しく始まる爆笑オンエアバトルのネタ見せに誘われたことから番組初回から出演している[27][144]。その初回放送で、後に高得点の基準となる500kbを達成したのがラーメンズだった[144]。ネタの面白さが評価される番組において、特に注目が集まっていたのがラーメンズであり、暗転のタイミングを細かくリハーサルしていたことが製作陣の印象に残っている[142][145][注釈 4]

第1回チャンピオン大会では順位にこだわることなく、片桐が動かない「教材用片桐」のネタを披露し、予選で4位になり決勝の3枠に残ることができなかった[148][149]。第2回チャンピオン大会では決勝に進出するも9位に終わったが、立川談志により審査員特別賞が与えられた[145]

オンエアバトルで代表作である「日本語学校」を披露したところ、視聴者からの苦情が相次いだことがあった[142]。外国人を演じる二人が日本語の教科書を読んでいる様が、麻薬密売を題材にしていると勘違いされてしまったことが原因である[142]。番組は差別的な発言もしていないし放送コードにも引っ掛からないと苦情を突っぱねたことがネットで話題になった[142]
笑いの巣

たりないふたりの仕掛け人である安島隆との出会いにより、1999年に日本テレビのネット番組である「笑いの巣」に参加している[150][151][34]。タッグを組めるような面白い若手芸人を探していた安島は、ラーメンズが出演していたシアターDのライブを偶然訪れた[150][152]。独特の存在感と劇場の空気を一瞬で変える力に虜になった安島は、ライブ終了後すぐに楽屋を訪ね挨拶を交わしている[152][153]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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