ラーメンズ
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瞬発的な変顔や特徴的な声が印象的でキャラクター性の強さについて評価されており、小林はラーメンズの看板、アイドルと表現している[10][11][12][9]。小林は計算された脚本を作る自らを仕掛けを使う手品師に喩える一方、脚本の想定以上の面白さを表現する片桐を魔法使いに喩えている[13][14]
歴史
出会い

二人は多摩美術大学の版画科の同級生であり、小林賢太郎は木版画専攻、片桐仁はリトグラフを専攻していた[15]

小林は中学校の演劇大会で製作を担当し魅力にハマると、高校時代には演劇部に所属し芝居の前座でコントをしていた[16][17]。大学でもお笑いがやりたかった小林はお笑いについて友人に積極的に話しかけ、録画したお笑い番組を見せていく中で笑いのツボが一致したのが片桐だった[16][17]。片桐は元々演じることに興味はあったが、高校時代には勇気が出ずに演劇部に所属することはなかった[18]。当初お笑いに興味はなかったが、大学デビューで目立ちたかった片桐に「お笑いをやればモテる」という小林の言葉が刺さり、誘われる内にのめり込んでいった[19][10][16]。また両者ともに、絵が上手い学生ばかりという美大の環境で挫折を味わい、お笑いを自分たちの新しい表現手段として考えるようになっていった[10][19]

片桐は大学デビューに必死で、小林の目から見ても周りで一番面白い人間に写っていた[10][19]。引け目からキャラが強くクラスの人気者である片桐を誘えずにいた小林だったが、別の相方を探している内に自分にないものを持っている片桐が適任だという思いが強くなり、大学3年時にコンビ結成となった[19][10][20]。在学時の多摩美術大学にはお笑いサークルが存在せず、活動を停止していた落語研究会を復活させる形で落語をしない「オチケン」というサークルを自分たちで作っている[10][注釈 1]

1990年中頃に田辺エージェンシー主催の大学対抗のお笑い選手権が開催されており、4年次の第2回大会に出場を希望したが既に参加が締め切られていた[21][22]。担当者に審査対象外としてネタを見てもらったところ、冗談リーグという若手ライブに出演することになった[15][23][24]。その後田辺エージェンシーに所属することになり第3回大会に出場しているが、関東大会のベスト8で敗退している[25][1][注釈 2][注釈 3]
コンビ名

コンビ名は大学対抗戦に出場するためにとりあえずつけたもので、ある日小林がラーメン屋から電話をかけてきて「ラーメンズはどう?」と提案したことで決定した[15][27]。由来は後付けの適当なものであり、ファンからドイツ語のラーメンから来ているのではという質問に嘘で肯定したり、ラーメンの仕事が来るかもしれないという安易な理由もあった[27]。コンビとしての活動が定まるまでは頻繁にコンビ名を変えていて、一番最初に付けたコンビ名は大学の同級生であるニイルセンに便乗した「ニイルセンズ」というものであった[28]
活動初期

活動初期は片桐がボケで小林がツッコミを担当する漫才スタイルで、差別ネタや下ネタも扱っていた[19][27]。売れない時期はライブでもウケず、コンビ仲が悪い期間もあった[27]。1997年末のバナナマンとの出会いを通して、裏をかくような笑い場所や演技の巧みさに刺激を受けて、ラーメンズをもう少し頑張ってみようという気持ちになった[27]

オークラによると、漫才もやっていたスタイルが確立される前のラーメンズは印象が薄かったが、1998年3月のライブでスタイルを見つけたラーメンズの変貌ぶりにオークラは驚いており、「できるかな」のパロディコントについてバナナマンを初めて見た時の衝撃と同等に語っている[29][30][31]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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