ラーメンズ
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在学時の多摩美術大学にはお笑いサークルが存在せず、活動を停止していた落語研究会を復活させる形で落語をしない「オチケン」というサークルを自分たちで作っている[10][注釈 1]

1990年中頃に田辺エージェンシー主催の大学対抗のお笑い選手権が開催されており、4年次の第2回大会に出場を希望したが既に参加が締め切られていた[21][22]。担当者に審査対象外としてネタを見てもらったところ、冗談リーグという若手ライブに出演することになった[15][23][24]。その後田辺エージェンシーに所属することになり第3回大会に出場しているが、関東大会のベスト8で敗退している[25][1][注釈 2][注釈 3]
コンビ名

コンビ名は大学対抗戦に出場するためにとりあえずつけたもので、ある日小林がラーメン屋から電話をかけてきて「ラーメンズはどう?」と提案したことで決定した[15][27]。由来は後付けの適当なものであり、ファンからドイツ語のラーメンから来ているのではという質問に嘘で肯定したり、ラーメンの仕事が来るかもしれないという安易な理由もあった[27]。コンビとしての活動が定まるまでは頻繁にコンビ名を変えていて、一番最初に付けたコンビ名は大学の同級生であるニイルセンに便乗した「ニイルセンズ」というものであった[28]
活動初期

活動初期は片桐がボケで小林がツッコミを担当する漫才スタイルで、差別ネタや下ネタも扱っていた[19][27]。売れない時期はライブでもウケず、コンビ仲が悪い期間もあった[27]。1997年末のバナナマンとの出会いを通して、裏をかくような笑い場所や演技の巧みさに刺激を受けて、ラーメンズをもう少し頑張ってみようという気持ちになった[27]

オークラによると、漫才もやっていたスタイルが確立される前のラーメンズは印象が薄かったが、1998年3月のライブでスタイルを見つけたラーメンズの変貌ぶりにオークラは驚いており、「できるかな」のパロディコントについてバナナマンを初めて見た時の衝撃と同等に語っている[29][30][31]。スタイルがコントになると「日本語学校」のネタなどでオーディションにも受かるようになっていき、ライブシーンでシュールなお笑いが流行すると赤坂お笑いD・O・J・Oで頭角を現し、毎月の事務所ライブでも目当ての観客で満員になっていった[27][32][33]

1998年6月末に第1回の単独公演「箱式」が行われた[34]シアターDの支配人であった矢野Jr.より片桐へ単独公演の打診があり、小林も前向きな姿勢を見せていたため開催はすぐに決まった[34]。小林は既に出来上がった10本のネタでライブに臨もうとしていたが、「単独公演用の新ネタを作るべき」という設楽統のアドバイスから全て新ネタで構成された[35]。1998年11月末に行われた第2回公演の「箱式第二集」では、第1回公演でウケが悪かったブラックな笑いの方向性を変え、客演の参加やSEを用いたコントもあった[34]

第3回公演の「箱よさらば」の頃には衣装替えなし、セットなしのスタイルの礎が固まっていき、他の芸人には見られないラーメンズ独特の世界観が確立されていった[34][36]。公演タイトルの箱はシアターDのことであり、当初から3回で終わりにする予定だったので「さらば」と冠して行われた[34]。しかし、公演を終えると物足りない感情があり、第4回公演でモヤモヤを解消するため「完全立方体」という公演名が付けられた[34]。第4回公演は2時間で計12本のコントを演じるオムニバスのような展開で、シアターDでの公演に満足した小林は翌日から新しいネタの執筆に取り掛かっている[34]

ラーメンズにとって1999年の爆笑オンエアバトルへの参加が転機となった[27]。ポイント上位の5組が放送されるオンエアバトルにおいて、7週の内6週で勝ち抜き毎月のようにテレビで露出すると、他事務所ライブや学園祭に呼ばれるようになり公演のチケットが売れるようになった[37][27]。第1回公演、第2回公演は知り合いへの手売りをしていなかったため、収容人数が100人のシアターDで3回公演合わせて200人程の動員だった[38]。オンエアバトル出演後の第3回公演は、チケットを求める客が行列になり立ち見客がでるほどになっていた[38]
2000年

2000年には舞台にこだわり3ヶ月に1回というハイペースで単独公演を敢行している[8][34]。第5回公演の「home」では300人規模の会場が埋まるか心配もあったが、 初めてチケットが即完売する売れ行きで全体で1500人の動員となった[34]。また、劇場が大きくなったことで、小さい表情の演技の修正や声の出し方の工夫がとられた[34]

2000年5月の第6回公演「FLAT」でもチケットはプレミアで即日完売し、追加公演も行われた[17][37]。小林が「重くて硬いものだった」と表現する「home」とは違い、肩の力を抜いてテーマを設定せず、パントマイムを多用するなど手数の多さを披露している[39][34]。また、ラーメンズにとって初めてビデオ化された公演となった[34]

2000年8月に行われた初の全国ツアー公演である第7回公演「news」では、札幌、福岡、埼玉、大阪、東京の5都市を訪れた[8][40]。地方で初めて観劇する人向けに、序盤に知名度のある「読書対決」のネタを採用している[40]。公演名は全国ツアーで東西南北を回ることから、それぞれの英単語の頭文字を取ったものである[34]。また、ポスターデザインの公演名に鳥が止まっていること、イメージカラーが青ということから、青い鳥になって幸せを各地に運ぼうという裏テーマがあった[34]。売れる前のラーメンズは三軒茶屋のシアタートラムでいつかやろうと意気込んでいたが、「news」の頃には立ち見不可のため入れない客もいるほどの人気になっていた[38]
2001年

前年の三作がアルファベット4文字だったので、2001年の三部作の公演タイトルは初期の「箱式」のような日本語に戻してみようと思い、インパクトのある漢字一文字で統一され、2音目に濁音が入ることが共通している[41][42]。また、椿、鯨、雀の共通点として日本的ということもあり、幕間の音楽に和風の音源を使用した[43]

第8回公演「椿」のテーマは潔さで、椿の花が落ちる儚さから感じるエロスも表現しようとしており、第9回公演「鯨」では一見強そうに見えるがどこか守りたくなる鯨の二面性を裏テーマにした[41][42]


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