広くタイ国民からの敬愛を受け続けているが、反王制派思想(君主制廃止論)[注 12]やアジア人に対する侮蔑的感情を持つ外国人等による批判を受けることもあり、たとえ自国民でなくても不敬罪を以って処される。2007年に国王のポスターに黒ペンキを塗布したスイス人男性には禁固10年(最高刑は75年)[注 13]、著書で王室を批判したオーストラリア人男性が2009年1月に懲役3年の実刑判決を受けたケースがある[注 14]。また海外で出版された書籍の執筆者がタイ国内に長期滞在していたために不敬罪に問われたケースもある[注 15]。しかしながら諸外国の政府や国民からの評価は高く、NHK『ラジオ深夜便』の海外レポートコーナーなどで紹介する際も、「(タイ国民が)敬愛するプミポン国王」という表現が使われることが多い。 共に長きに亘ってアジアにおける数少ない独立国であり続け、共に君主制を採り続けてきたタイの王室と日本の皇室は歴史的に縁が深い。 ラーマ9世の在位中のタイの王室と日本の皇室の交流は以下の通り。 また、タイ王国を公式、非公式で訪れることの多い秋篠宮文仁親王を「我が子と同様」であるとして、懇意にしており[15]、2017年10月にバンコクで行われた火葬式では親王夫妻が参列している[10]。 一方、シリントーン王女は、公式・非公式を含めて8度来日している。 日本製品を日常に数多く使用することでも知られ、一時期は王宮内の移動用に日本車であるホンダ・アコードを3代に亘り使用していたほか、キヤノン製の一眼レフカメラを長年愛用していた。また、日本楽器製造はサクソフォーンを献上したことがあったほか、オニツカタイガーを履いてハイキングしている写真がクローズアップされるとオニツカタイガーがタイ国民には人気ブランドと化した[16]。 この節には複数の問題があります。改善 ラーマ9世の系譜
日本との関係
1963年5月 - ラーマ9世初来日。当時の皇居仮宮殿で昭和天皇と会談。宮中晩餐会も。
1964年 - 昭和天皇の名代として、皇太子明仁親王と同妃美智子がタイを答礼訪問。ラーマ9世に拝謁。
1989年2月 - ワチラーロンコーン王太子、昭和天皇大喪の礼に参列のために来日。
1990年6月 - シリントーン王女、秋篠宮文仁親王結婚の儀に参列のため来日。
1991年 - 明仁天皇と美智子皇后(いずれも当時)、即位後最初の外遊でタイを訪問。ラーマ9世、シリキット王妃と会見。
2000年 - シリントーン王女、香淳皇后葬場殿の儀に参列のために来日。
2006年 - 「ラーマ9世在位60年記念式典」に明仁天皇、美智子皇后(いずれも当時)がタイを訪問。
2016年10月 - 明仁天皇、ラーマ9世崩御に際しシリキット王妃とタイ政府に弔電。河相周夫侍従長を勅使として、品川区上大崎の駐日本国タイ王国大使館に遣わす[14]。「お気持ち」として3日間服喪。
2017年 - 明仁天皇と美智子皇后(いずれも当時)、ベトナム訪問の帰途、タイを訪れ弔問。王宮に安置されているラーマ9世の棺に拝礼し、アンポンサターン宮殿でラーマ10世新国王と会見。
逸話.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}
出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2022年4月)
雑多な内容が羅列されています。(2022年4月)
若い時にはヨットを嗜み、東南アジア競技大会において優勝するほど熱中した[17]。
「HS1A」というコールサインを持つアマチュア無線家でもあり[18]、2007年12月5日の生誕80周年を記念して、アマチュア局「HS80A」が12月1日から記念局として運用された[19]。
著書
『奇跡の名犬物語・世界一賢いロイヤル・ドッグ トーンデーン』タイ語??????
系譜
16.(=20.) ラーマ2世
8.(=10.) ラーマ4世
17.(=21.) シースリエントラー
4. ラーマ5世
18. シリウォン
9. テブシリントラー
19. ノイ
2. マヒドンアドゥンラヤデート
20.(=16.) ラーマ2世
10.(=8.) ラーマ4世
21.(=17.) シースリエントラー
5. サワーンワッタナー
22. テング・スジャリッイタグン
11. ピヤマ・スジャリッイタグン
23. ナーク・スジャリッイタグン
1. ラーマ9世
12. チュム・チュークラモン
6. チュー・チュークラモン
3. サンワーン・タラパット
7. カム・チュークラモン