ラーマ9世
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君主制を採用する世界24か国の国々から君主王太子などの皇族や王族(日本天皇明仁皇后美智子を始め、ベルギーサウジアラビアオランダなど)が臨御・台臨し、ラーマ9世の即位60年を祝った。一般市民も国王の誕生色である黄色のシャツを着用して街を埋め尽くし、盛大な祭りとなった。

2007年10月中旬には、右半身の不調を訴えたためにシリラート病院に入院し、脳血流障害の診断が下された。その後投薬治療を受け急速に回復に向かい、11月7日に退院した際には、病院前からチットラダー宮殿までの沿道に、黄色の服を着た数万人の市民が集まって退院を祝ったほか、記帳者の数も100万人を超えたと報じられた。

なお、退院の際に国王がピンク色のジャケットを着ていたことを受け、その後タイ国内では国王の健康と長寿を願う意味を込めて、ピンク色のシャツやブラウスを着ることが流行していた。

2009年9月19日、発熱などのため再びシリラート病院に入院、翌10月中旬には容態に関する噂が流れたためタイ王国王室庁が国王は快方に向かっていると強調するなど[4]、タイ国民の間で不安が高まったとされている[5]。2012年5月に一時退院し、アユタヤ県の洪水対策工事の親覧に行幸し健在をアピールした[6]が、その後は高齢のため普段はフワヒンにあるクライカンウォン宮殿に居し、公務の数を減らしていた。2014年に、軍部によるクーデターが再度発生。詳細は「タイ軍事クーデター (2014年)」を参照

2016年6月9日は在位70年を迎え、存命中の最も在位年数の長い君主となった[7]。在位70年を祝う記念行事が執り行われたが、国王本人は入院中であった。入院している病院の周りには、タイでは健康と長寿を意味する色であるピンク色の服を着た人々が集まりを手を合わせ、御真影を掲げ、国王の平癒を祈るようになっていった。同年10月9日夜、タイ政府は国王の容態が不安定だという声明を発表。タイ全国民に緊張がはしった。その当時は、プミポン国王の病院の前には、国王を心配する国民で埋め尽くされていた。
崩御詳細は「en:Death and funeral of Bhumibol Adulyadej」および「en:Reactions to the death of Bhumibol Adulyadej」を参照国防省の建物に掲げられた半旗。(2016年10月28日、バンコク)

2016年10月13日午後3時52分(現地時刻)、入院していたシリラート病院で崩御。88歳没。在位期間は70年4か月。歴史上で見ても稀にみる長い期間王位に就いている国王であった[8][1][2]。近代以降、他に在位期間の長い君主は、スワジランドソブーザ2世(在位82年254日間)、オーストリアフランツ・ヨーゼフ1世(在位67年11か月)、イギリスエリザベス2世(在位70年7か月)とヴィクトリア女王(在位63年7か月)、日本の昭和天皇(在位62年+摂政宮5年)などがいる。

崩御を受けて、タイ首相府より下記の発表がされた[9]
全ての公的な場所、国営企業、政府関係機関及び教育機関は、10月14日より30日間半旗を掲揚する。

全ての公務員及び国営企業従業員、政府機関職員は、10月14日より1年間に服す。

一般国民は、適切な行動を考えて行動すること。

崩御を受けて、タイ王国の人々は、喪の表明として「黒い服」を着ていた。また、各国の駐タイ王国大使館タイ国政府観光庁タイ国際航空BECワールドオーソーモートーなどのウェブサイトはモノクロ、グレースケールに改められたほか、タイ人の利用が多いLINEもモノクロになった。
国葬

崩御から約1年後の2017年10月26日(現地時刻)、バンコクの王宮前広場に設置された施設で火葬儀式が行われ、荼毘に付された[10]

タイ政府は同年10月29日を以て服喪期間が終了したことを宣言するとともに、火葬を執り行った施設を同年11月2日?30日に一般公開した[11]。一般公開はその後、同年の12月31日まで延長された[12]
子女

シリキット王妃との間に1男3女がいる。1972年ワチラーロンコーン王子へ、1975年シリントーン王女へそれぞれ王位継承権が贈られている。

続柄名前生年月日没年月日備考
第1王女
(第1子・長女)ウボンラット1951年4月5日存命中(73歳)1972年にピーター・ラッド・ジェンセンと結婚。1998年に離婚。
子女:1男2女(3人)
第1王子
(第2子・長男)ワチラーロンコーン1952年7月28日存命中(71歳)チャクリー王朝第10代国王『ラーマ10世』
1977年にソームサワリーと結婚。1991年に離婚。
1994年にスチャーリニーと再婚。1996年に離婚。
2001年にシーラットと再婚。2014年に離婚。
2019年にスティダーと再婚。
子女:5男2女(7人)
第2王女
(第3子・次女)シリントーン1955年4月2日存命中(69歳)テープラッタナラーチャスダー公


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