ラーマ10世
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国王時代

2016年10月13日、父王・ラーマ9世の崩御を受け、プラユット・チャンオチャ首相が「ワチラーロンコーン王太子が新国王に即位する」ことを発表した[3][4]。ただし、「弔いと決意を固める時間が欲しい」との理由で、当面は即位しない意向を示したため、すぐに議会において、国王即位の承認手続きは行われなかった[4]

11月29日には、内閣によるワチラーロンコーン王太子の国王即位要請が議会によって承認された[5]12月1日、暫定議会議長による即位要請を受けこれを受諾、ラーマ10世としてタイ王国新国王に即位した[6](即位日は遡って10月13日)。

2016年12月の国民投票で新憲法案が承認されたが、ラーマ10世国王は署名を拒否し、一部の条文の修正を要求するという異例の対応を取った[7]。その後、2017年4月になって、ようやく国王の権限が強められたと解釈できる新憲法に署名し、憲法は施行された[8]

2017年3月5日には、第二次世界大戦の戦没者慰霊のためにベトナムへの国際親善訪問(日程:2月28日 - 3月6日)をしていた日本天皇明仁皇后美智子(いずれも当時)が、ラーマ9世の弔問のためタイの首都バンコクに立ち寄った際に王宮を訪れた天皇皇后と会見した。その際、ラーマ10世新国王側の意向で通訳を介さず、3人のみで会話に臨んだ[9]

即位後は王妃とともにドイツに一時滞在した。2017年6月10日にはミュンヘン郊外をサイクリング中に、ドイツ人の10代前半の少年2人よりエアソフトガンを用いてプラスチック製BB弾で狙撃されるという事件が発生した。弾はワチラーロンコーンには当たらず、タイ国内で大々的に報道されることもなかった[10]。2020年3月には2019新型コロナウイルス感染防止のための避難に伴い愛人である20人の女性を連れて全室を貸し切ったバイエルンのアルプスを一望できるホテルにて[11]、側近数百人とともに隔離生活を送っていたとされる[12][13][14]

また折を見て本国に還御しており、2020年8月にはシリキット王太后の88歳の誕生日を祝うため24時間未満という短時間ながらタイに一時帰国している[13]。10月10日にはドイツ連邦議会におけるハイコ・マース外相の答弁の中で、ワチラーロンコーン国王はドイツの地からタイを統治するのをやめるよう苦言を呈されている[15]。10月以降は国内にとどまり、王室改革を求める異例のデモが続く中、イメージ回復のためとみられる動きを強めている[16]。その後、2021年11月8日に息子の滞在するドイツへと出国したが、1年余りのタイ滞在は異例の長期国内滞在とされた[17]

全世界の31名の君主(「現在の君主の一覧参照)の中でも「世界一裕福な王」として知られ、米エグゼクティブ向け雑誌によれば資産は430億ドル(約4.6兆円)で、イギリスエリザベス2世女王の80倍とされる[11]

2022年現在は、国内のドゥシット宮殿に滞在しており頻繁に公務もしている。
貨幣

王立タイ造幣局は、ラーマ10世の肖像画の入った新バーツ紙幣を順次発行している。20バーツ、50バーツ、100バーツは2018年4月に、500バーツ、1000バーツは2018年7月28日に発行された[18]
家族戴冠式に臨むラーマ10世(2019年)

2019年5月までに、4回の結婚と3回の離婚を経験している。

ソームサワリー(英語版)妃:最初の妃。シリキット王妃の従妹にあたり、ラーマ5世の男系子孫で結婚前にもモームルワン称号を所持していた。離婚後も王族の一員として活動している。

スチャーリニー(英語版)妃:2人目の妃。元・女優。離婚後には息子とともに国外へ追放され、アメリカ合衆国平民として居住中。

シーラット(英語版)妃:3人目の妃。親族汚職理由として離婚され、タイ中部の出身地に帰郷し平民として生活している。
現在の配偶者

スティダー・ワチラロンコン・ナ・アユタヤ妃 (現・王妃):4人目の王妃。タイ国際航空客室乗務員を経て、2014年に陸軍入隊、王太子時代のラーマ10世の護衛部隊の責任者に就任、16年には将軍に昇格。2019年5月1日に結婚した[19]

シニーナート・ウォンワシラパック(英語版):国王警護部隊所属の王室護衛官や陸軍看護師を経て、2019年7月28日に「チャオクンプラ(Chao Khun Phra、??????????)(「高貴な配偶者」)」の称号を授けられ、100年ぶりのタイ王室側室扱いとなった[20]パイロットの資格も有する[21]。称号授与の僅か3か月後の10月21日に「国王への不実」などを理由として勅命により全ての称号を剥奪されたが[22]、2020年8月28日付で恩赦を受け、称号を再び授けられた[23]
子女

2020年現在、王族籍にある子女は3人(1男2女)である。

パッチャラキッティヤパー王女(1978年12月7日 - )…母はソームサワリー元・妃

シリワンナワリーナーリーラット(英語版)王女(1987年1月8日 - ) …母はスチャーリニー元・妃

ティパンコーンラッサミチョト王子(2005年4月29日 - )…母はシーラット元・妃、王位継承順位第1位(推定相続人

王族籍にない子女

スチャーリニー元・妃の息子であり、シリワンナワリーナーリーラット王女の同母兄弟にあたる。

ジュタヴァチャラ・ウィワチャラウォン
(英語版)

ワチャレーソーン・ウィワチャラウォン(英語版)…アメリカ合衆国で弁護士をしており、2023年5月には弟チャクリワットとともに27年ぶりに一時帰国している[24]

チャクリワット・ウィワチャラウォン(英語版)

ワッチャラウィー・ウィワッチャラウォン(英語版)

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タイ王国

- ラーチャミトラーポーン勲章


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