また、前年の1990年にはレイド・バックによる世界的ヒット曲『Bakerman』のミュージックビデオを監督した。このビデオは2006年のShaun Bakerによる同曲のリメイクの際にも使われている。 1992年、プロデューサーのピーター・アールベーク・ジェンセンとともに映画製作会社ツェントローパを設立した[7]。同社は経済的な自立を達成し、芸術的な面を完全にコントロールできるようにする目的であった。社名は当時最新作であった『ヨーロッパ』にちなんでいる。同社はトリアーの作品の他にも多数の映画やテレビシリーズを製作している。またツェントローパは主流の映画製作会社としてハードコアポルノを製作しているという意味でも世界唯一のものになっている。 1994年、ツェントローパのための資金を目的に、「王国病院」(Rigshospitalet)と呼ばれていたデンマークの国立病院を舞台にしたテレビシリーズ『キングダム』を監督した。同作は国内で50パーセント以上の視聴率を記録、デンマーク版『ツイン・ピークス』と称されるなど人気を博した。1997年には続編の『キングダムII』が製作され第3部も予定されていたが、メインキャラクターの一人であるヘルマー医師を演じたエルンスト・フーゴ・イエアゴーが死去したために製作は中断された。 1995年、トリアーの母親が死去。遺言としてトリアーの遺伝上の父は彼女の夫ではなく、元上司でカトリックの音楽家の家系のフリッツ・ミカエル・ハートマンという男性であり、「芸術家の遺伝子のため」に彼を選んだことが明らかとなった。その後、何度かの気まずい会見の後でハートマンはトリアーに会うことを拒否するようになった[9]。この暴露の後、トリアーは育ての父との関係を「消去」しようとし、一時期はカトリックに入信した。現在はカトリックに破門されてはいないものの無神論の立場を取っている。映画においても「正直さ」を大きく扱った作品を製作するようになる[6][2]。 同年トリアーはトマス・ヴィンターベアとともに、技術的なミニマリズムの原則であるドグマ95を発表した。この時点では多くの批評家がこの方法論は急進的すぎて成功しないだろうと考えており、実際にこのドグマに従った映画が発表されるまでにはしばらく時間がかかった。 1996年、『奇跡の海』を発表。第49回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した。主演のエミリー・ワトソンはアカデミー主演女優賞にノミネートされた。同作は厳密にはドグマ95には基づいていないもの、粒状間のある画面や手持ちカメラ主体の撮影はドグマの行く先を示していた。同作はその後の『イディオッツ また同年には、コペンハーゲンで53人の役者を使った実験的な劇『Psychomobile 1 ? The World Clock』を製作した。このプロジェクトを記録したドキュメンタリーがジェスパー・ジャーギルによって製作され、2000年に『De Udstillede(展覧物)』として発表された。 1998年にはドグマ95に完全に従って製作された『イディオッツ』を発表。第51回カンヌ国際映画祭に出品された際、トリアーは旅嫌いにもかかわらず陸路でカンヌまで出かけた。デンマーク映画界への国際的な関心を高めたドグマ95によりトリアーの影響も多くの作家に及ぶことになった。 『イディオッツ
ツェントローパと『キングダム』
ドグマ95
過激な表現
1998年には自身の映画製作会社ツェントローパを主流の映画会社でありながら、ハードコアポルノを製作する世界で初めての会社にしたことでも映画史に名を残している。この路線の作品は『Constance』(1998年)、『Pink Prison』(1999年)、『HotMen CoolBoyz』(2000年)やアダルトと主流映画の混合作品『オール・アバウト・アンナ』(2005年)の4本が製作された。これらは主に女性の観客を対象としておりヨーロッパでは成功を収めている。特に前2作は2006年3月のノルウェーにおけるポルノ合法化に直結している[10]。女性も他の人がセックスをしているのを見るのは好きなのだ。彼女達が好まないのは、物語無しに打ち付け合っている体の一部だけが大写しになって際限なく続いていることなのだ。初めにこれに気付いたのはトリアーで、だから彼は女性のための上質な価値あるポルノを制作することができた。 ? Stern #40, 2007年9月27日[11]
この動きはAnna Span、Erika Lust、Petra Joyらによるヨーロッパでの女性向けポルノの波を先導することになった。しかし、ツェントローパ自身は英語圏のビジネス相手からの圧力により、後にこの路線を放棄することになった[12]。2009年7月には女性紙『Cosmopolitan』による女性向けポルノランキングで『Pink Prison』が「新しい世代のポルノのロールモデルとなった」功績により1位に輝いた[13]。
トリアー自身は2009年の『アンチクライスト』でより暗いテーマとともに過激な性表現に回帰することになる。2012年には自身の監督作品としては『イディオッツ』以来14年ぶりに、前述の「振りではないセックス描写」を含む『ニンフォマニアック』の製作を発表。再び議論を呼ぶ過激な作風となることを示唆した。 2000年、アイスランドのミュージシャンビョークを起用したミュージカル『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を発表。第53回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した[14]。トリアー自身も作詞に参加した挿入歌『I've Seen It All』はアカデミー賞の歌曲賞にノミネートされた。 2003年、ヨルゲン・レス
2000年代