ラ・ラ・ランド
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施設の1室でゴスリングがピアノの練習をし、別室でストーンがムーアとダンスの稽古をし、衣裳デザイナーのメアリー・ゾフレスも施設の一角を使用していた[34][28]。主演のジャズ・ピアニスト役を演じたライアン・ゴズリングは、撮影までの3ヶ月間に渡りピアノ特訓を行い、全てのシーンを実際に弾いている[54]。ムーアはダンスの技術よりも感情を重要視しており、ストーンはプリウスのシーンでそれが鍵となったと語った[34]。役者およびスタッフのイメージを膨らませるため、毎週金曜夜にチャゼルは『シェルブールの雨傘』、『雨に唄えば』、『トップ・ハット』、『ブギーナイツ』など影響を受けたクラシック映画の上映会を行なった[28]
撮影.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}オープニング・シーンのロケ地であるジャッジ・ハリー・プレガーソンIC(英語版)(左)と星空に浮かぶシーンのロケ地であるグリフィス天文台(右)。

チャゼルは1930年代のアステア&ロジャース作品のように、頭からつま先まで映し、カットなしのシングル・テイクで撮影することを望んでいた[51]。また『いつも上天気』などの1950年代のミュージカル映画のようにワイドスクリーンのシネマスコープを望んでいた。そのためデジタルではなくワイドスクリーンのフォーマットでパナビジョンの撮影機材を使用したフィルム撮影を行なった[55][56][57][58]

チャゼルはロサンゼルスが非現実的な夢を持った人々によって作り上げられた詩的な街であるとして主な撮影をロサンゼルスで行なうことを望んだ[25]。2015年8月10日、本作の主要撮影ロサンゼルスで始まり[59][60]、ダウンタウン・トロリー、ハリウッド・ヒルズの住宅街、エンジェルズ・フライト、コロラド・ストリート橋、サウス・パサデナ、グランド・セントラル・マーケット、ハモーサ・ビーチ、シャトー・マーモント・ホテル、ワッツ・タワーなどロサンゼルス市内60か所以上をワン・テイクで撮影した。40日間を撮影にかけ、2015年9月中旬に撮影が終了した[28][61][62]

高速道路上で「Another Day of Sun」を歌い踊る冒頭のシーンが最初に撮影され[28]、スタジオ撮影ではなく、実際にロサンゼルス南部のジャッジ・ハリー・プレガーソンICの一部を借り切って撮影された[63]。2日間かけ、100名のダンサーが出演して撮影が行われた[27][64]。チャゼルはこの1シーンだけでロサンゼルスがいかに広大であるかを表現したかった[30]。当初地面の高さの高速道路での撮影が計画されていたが、100フィート(30m)の高さに弧を描くインターチェンジでの撮影に変更した。プロダクション・デザイナーのデヴィッド・ワスコは「誰か落ちて死ぬのではないかと心配した」と語った。チャゼルは『オズの魔法使』(1939年)でエメラルド・シティに向かう黄色のレンガ道をイメージしていた[28]エンジェルズ・フライトは2013年に閉鎖されたが、撮影のために1日だけ再開された。

チャゼルは1901年創立のトロリーであるエンジェルス・フライトなど、まだ残る、あるいは失われゆく「古き良きロサンゼルス」を探した。このケーブルカーは修復および再開を目指していたが叶わず、2013年に脱線後廃止された。しかし映画製作チームは1日だけの使用許可を得ることができ、撮影の計画を立てた[30]

ミアはチャゼルがハリウッドの記念碑と考える撮影所近くの喫茶店で働いている。ワスコは多くの作り物の映画ポスターを制作した。時折チャゼルはその映画の題名を考えており、1枚のポスターに1930年代のミュージカル映画として自身の第1作『Guy and Madeline on a Park Bench 』(2009年)の題名を使用している[30]

6分間に及ぶ「A Lovely Night」のシーンは日没のマジックアワーの短時間に撮り終えねばならず、2日間かけ8テイク撮影した[34][16]。ストーンはこのシーンの撮影が成功した時について「皆とても盛り上がった」と語った[51]


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