ラ・ラ・ランド
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チャゼルはロサンゼルスが非現実的な夢を持った人々によって作り上げられた詩的な街であるとして主な撮影をロサンゼルスで行なうことを望んだ[25]。2015年8月10日、本作の主要撮影ロサンゼルスで始まり[59][60]、ダウンタウン・トロリー、ハリウッド・ヒルズの住宅街、エンジェルズ・フライト、コロラド・ストリート橋、サウス・パサデナ、グランド・セントラル・マーケット、ハモーサ・ビーチ、シャトー・マーモント・ホテル、ワッツ・タワーなどロサンゼルス市内60か所以上をワン・テイクで撮影した。40日間を撮影にかけ、2015年9月中旬に撮影が終了した[28][61][62]

高速道路上で「Another Day of Sun」を歌い踊る冒頭のシーンが最初に撮影され[28]、スタジオ撮影ではなく、実際にロサンゼルス南部のジャッジ・ハリー・プレガーソンICの一部を借り切って撮影された[63]。2日間かけ、100名のダンサーが出演して撮影が行われた[27][64]。チャゼルはこの1シーンだけでロサンゼルスがいかに広大であるかを表現したかった[30]。当初地面の高さの高速道路での撮影が計画されていたが、100フィート(30m)の高さに弧を描くインターチェンジでの撮影に変更した。プロダクション・デザイナーのデヴィッド・ワスコは「誰か落ちて死ぬのではないかと心配した」と語った。チャゼルは『オズの魔法使』(1939年)でエメラルド・シティに向かう黄色のレンガ道をイメージしていた[28]エンジェルズ・フライトは2013年に閉鎖されたが、撮影のために1日だけ再開された。

チャゼルは1901年創立のトロリーであるエンジェルス・フライトなど、まだ残る、あるいは失われゆく「古き良きロサンゼルス」を探した。このケーブルカーは修復および再開を目指していたが叶わず、2013年に脱線後廃止された。しかし映画製作チームは1日だけの使用許可を得ることができ、撮影の計画を立てた[30]

ミアはチャゼルがハリウッドの記念碑と考える撮影所近くの喫茶店で働いている。ワスコは多くの作り物の映画ポスターを制作した。時折チャゼルはその映画の題名を考えており、1枚のポスターに1930年代のミュージカル映画として自身の第1作『Guy and Madeline on a Park Bench 』(2009年)の題名を使用している[30]

6分間に及ぶ「A Lovely Night」のシーンは日没のマジックアワーの短時間に撮り終えねばならず、2日間かけ8テイク撮影した[34][16]。ストーンはこのシーンの撮影が成功した時について「皆とても盛り上がった」と語った[51]。ゴスリングもストーンもミュージカル俳優ではなく、特にシングル・テイクの長い曲などで多くのNGを出した。しかしチャゼルは彼らに同情的で、経験が少ないことに理解があり、ミスを全く気にしなかった[36]。セバスチャンとミアの最初のダンス・シーンで、ストーンはベンチの後ろでつまづいたが、すぐに立ち上がってそのまま撮影を続けた[36]

約1年かけてチャゼルは編集技師トム・クロスと共に編集を行った[28]
音楽詳細は「ラ・ラ・ランド (サウンドトラック)」を参照

映画音楽はチャゼルのハーバード大学時代の同級生であるジャスティン・ハーウィッツが『Guy and Madeline on a Park Bench 』、『セッション』に引き続いて担当した[65]ジョン・スティーブンス、ハーウィッツ、マリウス・デ・ヴリーズ(英語版)、アンジェリーク・シネルによって作詞された「Start a Fire」を除いて、ベンジ・パセック、ジャスティン・ポールが作詞を担当した。

2016年12月9日にインタースコープ・レコードによってハーウィッツの映画音楽とキャストによってパフォーマンスされた歌が収録されたサウンドトラックのアルバムがリリースされた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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