ラ・フォンテーヌはボーシャン振付の『ファエトン』(Phaeton、1683年)、『アキスとガラテア』(Acis et Galatee、1686年)などのリュリの作品で主役を踊り、その優美さで称賛を受けた[1][3][4]。ラ・フォンテーヌは、1681年から1693年までに上演された少なくとも18のバレエ作品で主役を務めた[2][3][1][4]。引退後は修道院に入り、1738年頃パリで没したと伝わる[1][4]。
なお、ラ・フォンテーヌに少し遅れて、マリー=テレーズ・スュブリニ(1666年7月 ? 1735年頃)が職業的な女性ダンサーとしてパリ・オペラ座に登場した[3][6]。スュブリニは1690年に舞台デビューしてリュリやアンドレ・カンプラの作品で主役を務め、1705年まで主役の地位にあった[注釈 2][3][6]。スュブリニの後には、フランソワーズ・プレヴォー(1680年または1681年 - 1741年9月13日)が舞台デビューした[3][7]。プレヴォーは1699年にパリ・オペラ座に登場し、1730年に引退するまで30年にわたって、パリ・オペラ座のプリマ・バレリーナを務めた[3][7]。プレヴォーはマリー・カマルゴ、マリー・サレの両名を育てたことでも知られ、優秀な指導者でもあった[3][7]。
脚注
注釈^ 初期の宮廷バレエでは貴族の女性や宮廷の女官たちも舞台に出演していたが、次第に男性のみが出演するようになっていった。
^ スュブリニは1699年にロンドンの舞台に立ち、イギリスの観客の前で踊った史上初の職業的な女性ダンサーとなった。
出典^ a b c d e f g h 『オックスフォード バレエダンス辞典』571頁。