回数テレビ局番組名放送日吹替版 当初はスタローンがラッセル・マルケイを本作の監督に抜擢し、予定通りクランクインをしたが、ランボーが敵地に潜入する中盤のシーンの撮影中に、スタローンとの創作性での意見の衝突により途中降板をしたため、後任として前作にも第二班監督として参加していたマクドナルドに白羽の矢が立ち、監督を引き継いだ[9]。 ロケ地はイスラエルとタイ、そしてアリゾナ州。イスラエルでは14週間におよぶロケを行ったが、当局からの規制が厳しく、終盤の荒野における大規模な戦闘シーンはアリゾナで撮影された。 また、劇中のペシャワールやアフガニスタンの場面の大半はイスラエルで撮影されたが、ソ連軍の要塞は海に望む断崖の縁にセットを築いた関係で海が画面内に入らないように撮影された。このほか、ランボーがアフガニスタンで見る山々のシーンは紅海のほとり近郊で撮影され、遠方に見える雪山は合成された[9]。 ランボーが居候していたタイの寺院は野外セットではなく、建築中の本物の寺院が使われた。 前2作品の『ランボー』と『ランボー/怒りの脱出』が、「祖国のために命を懸けて戦った将兵たちに対して、その祖国の国民や政府はあまりにも冷淡すぎる」というベトナム帰還兵の悲哀をテーマにしたのに対し、主人公のジョン・ランボー(米国)とアフガン・ゲリラ(ムジャーヒディーン)が協力して、ソ連部隊と戦う内容になっている。 前作と同様、銃火器の種類は豊富であり、AK系統のライフルだけで10種類ほど登場する(AKS-47[broken anchor]、AMD-65など)。さらに、随所に登場するDShK38重機関銃やSG-43重機関銃は車両同様イスラエル軍から貸し出された本物である。しかし、PK機関銃はプロップの数が足りなかったのかFN MAGで代用されている(そのため、終盤の戦闘シーンでランボーがワンシーンしか使用しない)。マクドナルド監督はリアリティを出すためテクニカルアドバイザーにマニアックな銃器を手配するよう頼むと、当時はあまり知られてなかったPM-63 RAKやエリコンFF 20 mm 機関砲などを借りてきたらしい。そのためかなりいい仕上がりになったとのこと。 映画のテーマであるソ連支配の打倒を正当化するものとして、ランボーを案内するアフガン人による「アフガニスタンは、昔、アレクサンダー大王が、次にチンギスハンが征服を試み、さらにイギリスがやって来て今はソ連だ。でもアフガン人は負けない」やソ連部隊の捕虜となったトラウトマンによる「愛国心をもったゲリラがいる国は征服できない。我々はそれをベトナムで体験した」という台詞、ラストのテロップに「この映画をすべてのアフガン戦士たちに捧げる」という文言が出る。 なお、アメリカでの公開10日前に和平協定にあたる「アフガニスタンに関係する事態の調停のための相互関係に関する協定」が締結されて、ソ連軍の撤退が始まり、後のソビエト連邦の崩壊につながっていくことになる。そして皮肉にも、ソ連軍撤退後はムジャーヒディーン同士の対立から内戦となり、タリバンの台頭を招くことになる。 スタローンは、多くの危険なスタントを自らこなすなど、このランボーシリーズでかなり身体を張っている。 一例として、映画本編の中盤で、救出のためランボーが敵地に潜入するシーンで、爆発の衝撃で飛んで来た「木の枝」がランボーの右脇腹に突き刺さる。その後、治療のため自ら木の枝を抜き取り、薬莢の火薬を傷口に付け、炎を引火させる一連のシーンは、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}撮影中にスタローンが実際に負った傷であり、治療シーンもスタローンが自ら行っている[要出典]。自ら傷口を治療するシーンは、1作目の『ランボー』にもある通りである。 イスラエル陸軍の全面協力を得て、中東戦争で実際にシリアやエジプトが使用してイスラエルに鹵獲されたT-54/55(正確には、イスラエル軍仕様に改修されたチラン戦車)、BRDM-2、BTR-60、ZSU-23-4といったソ連製兵器が使われ本物の戦場と見違えるほどの撮影現場となった。これ以外にもイスラエルがヨルダンから鹵獲したイギリス製のサラセン装甲車や、イスラエルが元々使用していたアメリカ製のM3ハーフトラックも登場している。また、終盤でランボーがソ連軍から強奪する戦車は、スタローンの「時速80kmで走れる戦車がいい」というリクエストに基づいて用意された改造戦車である。旧式の戦車に大型のエンジンを内蔵させたため、リクエスト通りの速力を確保できた[9]。 この撮影時にスタローンの高所恐怖症が発覚し、後にマクドナルド監督は「『クリフハンガー』に出演したのには驚いた」と語っている[9]。
初回日本テレビ金曜ロードショー1989年10月13日日本テレビ版
2回目1991年4月12日
3回目テレビ朝日日曜洋画劇場1994年1月2日テレビ朝日版
4回目フジテレビゴールデン洋画劇場1994年12月3日不明
5回目テレビ朝日日曜洋画劇場1996年3月3日テレビ朝日版
6回目フジテレビゴールデン洋画劇場1997年6月21日不明
7回目2000年4月15日
8回目テレビ東京午後のロードショー2004年12月1日テレビ朝日版
9回目2007年12月3日
10回目2012年8月23日[5]
11回目2014年11月26日[6]
12回目2017年4月14日[7]
13回目2020年5月29日[8]
製作
ロケ地
作品解説
演出
Size:45 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef