ラルフ円福
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彼らのグループの多くは逝去したが、ハワイの伝説であるスタンレー伊藤が2012年現在も健在である[3]。ちなみにラルフ円福は第二次世界大戦は442ではなくCIAの前身のひとつであるOSSがビルマ戦線に投入した部隊に所属していた。日本軍にいた実弟と戦後に出会った様子はノンフィクション『引き裂かれた家族』で描かれている。
サッド(「Sad」悲しみの)の由来は心の内が見えない悲しい顔をしていたとする説とダド・マリノの欧州興行でマリノが勝ち続けたが一向に儲からなかったので「あて」が外れたために「悲しみの」という綽名がついたとする説がある。
死して後に名誉の殿堂(hall of fame)入りをしたこの偉大な日系二世の心には常に日本があり、機体フラッグに日の丸をつけた日本航空にパーサーとして勤務していた安部譲二とハワイで再会した折に「by the way(ところで)、lately(ちかごろ)、天子様は swell(お元気)かいの」と若い安部を驚かせたという(安部譲二「殴り殴られ」集英社より)。
関連項目
男子ボクサー一覧
全米ボクシング協会(NBA)世界王者一覧
ダド・マリノ 対 白井義男戦
脚注^ 「フライ級王座 マリノ選手入京」『朝日新聞』昭和26年5月10日
^ 英: Ralph Yempuku
^ 朝日新聞2012年5月21日夕刊4版 11ページ
外部リンク
ダド・マリノの戦績 - BoxRec(英語)
前王者
テリー・アレン (ボクサー)第16代NBA世界フライ級王者
1950年8月1日 - 1952年5月19日次王者
白井義男
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